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基本情報
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住所 |
埼玉県北足立郡伊奈町本町2-155 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
埼玉新都市交通伊奈線志久 徒歩12分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-607-7200/048-723-6743 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
素盞鳴尊 稲田姫命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧郷社 |
由来 |
小室氷川神社では、素盞鳴尊(すさのおのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)の二柱の神さまを主祭神としてお祀りしております。もともとは男体宮(素盞鳴尊)、女体宮(稲田姫命)の二社がありましたが、いつの頃からか一つのお社(やしろ)にお祀りされるようになりました。現在の本殿にも二つの御扉がございます。 この仲の良い夫婦神さまをお祀りする氷川神社は、夫婦円満(家内安全)、良縁祈願の神さまとして信仰を集めてまいりました。 また、川越城主として有名な松平伊豆守信綱に深く信仰されたといわれています。伊奈家の家臣であった大河内家は男子に恵まれず、当氷川神社に一心にお参りしたところ、男子(後の信綱)を授かったためと伝えられております。現在も摂社の天神様は、伊豆守にちなみ伊豆天神と呼ばれております。この故事より、子授祈願、安産祈願の神さまとしても信仰されています。
境内掲示板
氷川神社
所在地 伊奈町大字小室字本上七八四二
この神社は、鎌倉時代の宝治二年(一二四八年)に勧請され、当時は素盞鳴尊を祀る男体宮と稲田姫命を祀る女体宮の二社であったがいつの頃か合祀されたと伝えられている。その後、南北朝時代の応安三年(一三七〇年)に社殿が再建され、江戸時代には小室郷八か村(別所、小室宿、本、柄、柴、小貝戸、中萩、丸山)の総鎮守となる。明治六年(一八七三年)には村社となり、明治四十年(一九〇七年)から四十三年(一九一〇年)にかけては旧小室村内の三十九の社が合祀され、昭和十九年(一九四四年)郷社に昇格した。現社殿は、昭和五十二年に完成している。
江戸時代には大河内氏や松平伊豆守信綱(老中、忍・ 川越城主)に由縁が深く、両氏によって度々修復がなされている。
境内にある天神社は、「知恵伊豆」と称されていた松平信綱にちなみ「伊豆天神」と呼ばれ、広く親しまれてきた。
毎年、四月十五日と十一月二十三日の例祭のほか、十二月二十二日には「火渡り」が行われる。これは、松薪を燃やし、その上を素足で渡ることにより無病息災、鎮火防盗を祈願するものである
平成元年三月
埼玉県伊奈町
新編武藏風土記稿
足立郡本村
氷川社 小室鄕八ヶ村ノ鎭守ナリ 祭神素盞嗚尊稻田姬命ノ兩神ナリ 本地十一面觀音ヲ安ス 當社ハ松平伊豆守信綱信仰アリテ寬永年中社頭ヲ再建シ供米並ニ山林ヲ寄附セシ由ナリ 又地頭伊那家ヨリモ山林ヲ寄進ス 當社ニ古棟札アリ 表ニ氷川社再造成就所應安三戌天三月吉日小室氏子中神宮山吉祥院ト書シ 裏ニ當寺無住三十五年ノ後拙者生國肥後國菊地武道入道一阿ト云○今○○來テ此無住地ヲ○○○○○○應安元年申二月城州眞言三寶院○○○修驗坊地ニ御願申上神宮山吉祥院ヲ神宮山吉祥院ト永々ノ御書奉○○則修驗地 開山吉祥院一宗法印記之トアリ 菊地氏ノコトハ吉祥院ノ條ニモ見ユ 棟札ノ表面年號ノ內應ノ字ハ後世ヨリ記セシサマナレト剥落セシヲ補ヒシニヤ 應安三ハ正シク戌ニシテ疑フヘキニモ非サレハ古社成ヘシ
神寶 長刀一振 鎗二本 是ハ別當ノ先祖菊地武道入道所持ノ品ナリシヲ納メシトイヘト 其頃ノモノトハミエス
末社 天神稻荷合社 天王社
別當吉祥院 先祖ハ肥後ノ國ノ住人 菊地武道入道一阿當所ニ來リ氷川ノ靈夢ニヨリテ別當トナリシトソ 武道入道ハ應安二年ニ寂ス 今醍醐三寶院ノ末ナリ |
神社・お寺情報 |
出張祭典可 駐車場 お祓い・ご祈祷 自動車のお祓い |
例祭日 |
四月十五日 十一月二十三日 |
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/05/06 07:25:58
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