京都府京都市東山区林下町400 華頂山 知恩院の写真1
京都府京都市東山区林下町400 華頂山 知恩院の写真2
京都府京都市東山区林下町400 華頂山 知恩院の写真3
京都府京都市東山区林下町400 華頂山 知恩院の写真4
 4.2

華頂山 知恩院  (かちょうざん ちおんいん)


京都府京都市東山区林下町400

みんなの御朱印

${row.jbName}の御朱印1
9
ちゅりさん
2024年4月5日 00:00
${row.jbName}の御朱印1
3
ちゅりさん
2024年4月5日 00:00
${row.jbName}の御朱印1
3
☆KEN☆さん
2024年4月1日 17:46

${row.jbName}の御朱印1
3
☆KEN☆さん
2024年4月1日 17:45
${row.jbName}の御朱印1
4
☆KEN☆さん
2024年4月1日 10:33
${row.jbName}の御朱印1
4
☆KEN☆さん
2024年4月1日 10:31

自分の御朱印

まだ御朱印が登録されていません

みんなの参拝記録

${row.jbName}の参拝記録
5
235
nonnkiさん
★★★★ 参拝日:2017年9月21日 00:00

のむさん
参拝日:2002年12月31日 00:00


${row.jbName}の参拝記録
2
263
銀玉鉄砲さん
★★★★ 参拝日:2018年12月8日 00:00
駐車場はありますがすぐ前は観光バスで少し離れて乗用車ですが余り大きくないかも? 歩いて行ったため
ルルさん
★★★★ 参拝日:2024年4月1日 00:00

自分の参拝記録

まだ参拝記録が登録されていません

みんなの動画

自分の動画

まだ動画が登録されていません

基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 京都府京都市東山区林下町400
五畿八道
令制国
 
アクセス 京都市東西線東山 徒歩6分
御朱印授与時間 9:00~16:00
電話番号 075-531-2111
FAX番号 075-531-0099
公式サイトURL https://www.chion-in.or.jp/
御本尊 御影堂:法然上人像
阿弥陀堂:阿弥陀如来
宗派 浄土宗
創建・建立 承安5年(1175年)
由来 知恩院は、浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が東山吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵をその起源とする。法然は平安時代末期の長承2年(1133年)、美作国(現・岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り、15歳で僧・源光のもとで得度(出家)する。18歳で比叡山でも奥深い山中にある西塔黒谷の叡空に師事し、源光と叡空の名前の1字ずつを取って法然房源空と改名した。法然は唐時代の高僧・善導の著作『観経疏』を読んで「専修念仏」の思想に開眼し、浄土宗の開宗を決意して比叡山を下りた。承安5年(1175年)、43歳の時であった。「専修念仏」とは、いかなる者も、一心に阿弥陀仏(阿弥陀如来)の名を唱えれば極楽往生できるとする思想である。この思想はいわゆる旧仏教側から激しく糾弾され、攻撃の的となった。法然は建永2年(1207年)には讃岐国(現・香川県)に流罪となり、4年後の建暦元年(1211年)には許されて都に戻るが、翌年の1月、80歳で没した。

法然の住房は現在の知恩院勢至堂付近にあり、当時の地名を取って「吉水御坊」「吉水禅房」「大谷禅房」などと称されていた。ここでの法然の布教活動は、流罪となった晩年の数年間を除き、浄土宗を開宗する43歳から生涯を閉じた80歳までの長きにわたり、浄土宗の中心地となった。そのため、法然の死後、ここに法然の廟が造られ弟子が守っていたが、嘉禄3年(1227年)、延暦寺の衆徒によって破壊されてしまった(嘉禄の法難)。しかし、文暦元年(1234年)に法然の弟子である紫野門徒の勢観房源智が再興し、四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜されるなどすると、次第に紫野門徒の拠点となっていった。

建治2年(1276年)、鎮西義の弁長の弟子良忠が鎌倉からやってくると、間もなくして紫野門徒の百万遍知恩寺3世信慧は東山の赤築地(あかつじ)において良忠と談義を行った。そこで両流を校合してみたところ、相違するところが全くなく符合したので、以後源智の門流は別流を立てずに、鎮西義に合流することとなった(「赤築地の談」)。

これにより、紫野門徒の拠点であった知恩院と百万遍知恩寺は鎮西義の京都での有力な拠点となった。

永享3年(1431年)に火災にあって焼失するが、間もなくして再興されている。

応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱の際には、知恩院22世周誉珠琳が近江国伊香立(現・大津市伊香立)の金蓮寺に避難し、法然御影や仏像、宝物類を付近にあった庵に避難させ、この庵を改めて新知恩院とした。そして、文明10年(1478年)に知恩院を再興するが、永正14年(1517年)に焼失する。

大永3年(1523年)、知恩院25世超誉存牛(ちょうよぞんぎゅう)と百万遍知恩寺25世慶秀との間で本寺争いとなったが知恩院が勝利し、鎮西義で第一の座次となり本山となった。また、戦国時代には縁誉称念による専修念仏集団一心院流(捨世派)が成立して鎮西義から分派し、天文17年(1548年)に法然上人御廟の向かいに一心院を建立している。

天正3年(1575年)、正親町天皇より浄土宗本寺としての承認を受け、諸国の浄土宗僧侶への香衣付与・剥奪の権限を与えられた(「毀破綸旨」)。

現存の三門、御影堂(本堂)をはじめとする壮大な伽藍が建設されるのは江戸時代に入ってからのことである。浄土宗徒であった徳川家康は慶長13年(1608年)から知恩院の寺地を拡大し、諸堂の造営を行った。造営は江戸幕府2代将軍徳川秀忠に引き継がれ、現存の三門は元和7年(1621年)に建設された。寛永10年(1633年)の火災で、三門、経蔵、勢至堂を残しほぼ全焼するが、3代将軍徳川家光のもとでただちに再建が進められ、寛永18年(1641年)までにほぼ完成している。

徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、徳川家が浄土宗徒であることや知恩院25世超誉存牛が松平氏第5代松平長親の弟であること、二条城とともに京都における徳川家の拠点とすること、徳川家の威勢を誇示し、京都御所を見下ろし朝廷を牽制することといった、政治的な背景もあったといわれている。江戸時代の代々の門主は皇族から任命されたが、さらにその皇子は徳川将軍家の猶子となった。

宝永7年(1710年)、それまで勢至堂の前にあった阿弥陀堂を現在地に移している。

1947年(昭和22年)、知恩院は法然上人御廟を中心とする「一宗一元運動」を提唱すると、12月8日、知恩院は自らを本山とする本派浄土宗(後に浄土宗本派に改称)を結成し、浄土宗から分派する。1950年(昭和25年)には法然上人御廟の向かいにある一心院が浄土宗捨世派を結成して浄土宗から分派した。しかし、1961年(昭和36年)の法然上人750年忌を機に、翌1962年(昭和37年)に知恩院と浄土宗本派は浄土宗に合流し、知恩院が再び浄土宗の総本山となった。
神社・お寺情報 正式名:華頂山 知恩教院 大谷寺
札所:法然上人二十五霊場・第25番

本堂・山門(国宝)
総本山
例祭日 1月25日:法然上人御祥当法要 2月初旬:追儺式 2月中旬:涅槃会 3月下旬と9月下旬 :彼岸会 4月8日:灌仏会 4月下旬:御忌大会 6月中旬:善導忌 7月15日:盂蘭盆会 7月:暁天講座 8月上旬:勢至堂墓地施餓鬼会 10月中旬:放生会 11月初旬:兼実忌 11月25日:濡髪大明神大祭 12月初旬:仏名会 12月8日:成道会 12月中旬:勢観忌 12月25日:御身拭式 12月31日:除夜の鐘
神紋・寺紋 丸に三つ葵
更新情報 【 最終 更新者】優雅
【 最終 更新日時】2021/09/01 17:24:14
 
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々はこちらよりお気軽にご相談ください。

近くの神社・お寺

近くのお城

このエントリーをはてなブックマークに追加 フォローする

通報

※「情報が異なる」「迷惑情報」を発見された方は、通報するを押してください。

神社・お寺検索

※は必須です
 
 
*
*

 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら

サイト内全検索

最近検索された神社・お寺

石牛(撫で牛)  苺神社  横手寶満神社  高良玉垂社(伊佐爾波神社)  常磐新田霊社(伊佐爾波神社)  素鵞社(伊佐爾波神社)  須玖南 老松神社(上の宮)  児守社(中嶋神社)  須玖老松神社(中の宮)  桜ケ丘老松神社  井相田宝満宮  稲荷社(神明大神境内社)  稲荷社(八幡大神境内社)  五日町若宮神社  鶴田老松神社  屋形原老松神社  屋形原佐谷神社  中尾老松神社  中尾恵比須神社  七夕龍神(千代神社内)  諸岡八幡宮  井尻地禄神社  平原宝満神社  笹原八幡宮  黒男神社  山田宝満宮  畑詰地禄神社  雑餉隈恵比須神社  和田宝満宮  八大龍王  延命福蔵地蔵尊  南天不動  寶塔神社  宝頭山不動明王(野崎不動尊)  上大利老松神社  青木地禄神社  地禄神社(半道橋)  王子八幡宮  大隈御霊神社  五十川八幡宮  老司老松神社  須玖住吉神社  板付八幡神社  釜蓋地禄神社  水城老松神社  白木原地祿神社  照天神社  六所神社(六所大権現)  筒井宝満神社  仲島地禄神社  甲植木若八幡宮  須恵宝満宮  炭焼貴舩神社  中宝満神社  御陵寶満神社  瓦田地禄神社  市木弘法堂  八大龍王  北浜神明神社  弁財天の洞窟  航空神社(北野天神社境内社)  勝淵神社  金刀比羅社・大山稲荷大明神(春日神社末社)  御嶽神社  御嶽山三吉神社  上渋垂諏訪神社  祇園宮  地神塔(熊野神社境内塔)  大六天神社  紫雲院  當麻寺 裟婆堂  稲荷社(日枝神社境内社)  代々木神社  稲荷神社  法光院 観音堂    日影弁財天社  貴船神社  白玉稲荷大神(比賣許曽神社境内)  稲荷社  楽御崎神社(吉備津彦神社本殿南側)  當麻寺 仁王門  聖天様・内出神社(島護産泰神社境内)  秋葉神社(岡廼宮神社境内)  正一位稲荷大明神(岡廼宮神社境内)  荒滝稲荷神社(熊野神社境内)  金比羅宮(熊野神社境内)  秋葉神社(熊野神社境内)  皇大神宮(愛宕神社境内)  宝珠山地蔵院延命寺  紫雲山無量寺  地蔵堂  慈眼庵  立石神社(玉比咩神社境内)  貴舩神社(不洗観音寺境内)  桃太郎神社  天満神社  熊野社・白山社・春日社(多治速比売神社境内)  南宮金山社  秋葉神社 

何を投稿しますか?

大好評!! スマホで神社がいいねを使うなら、アプリがおすすめ!

神社・お寺検索

初めてご利用の方は、使い方をお読みください。
*は必須です
 
 
*
*

 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら
※「記録を色分け」を選ぶと、参拝や御朱印の記録が地図上で色分け表示されます。(検索に時間がかかります。ログインが必要です。)