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参拝日:2021年7月11日 23:50
★★★ 参拝日:2020年7月2日 15:35
府社。 鳥居参道は西側。 鳥居左横に駐車場がありました。 境内はきれいに整えられ、お詣りの方もいらっしゃり、ご崇敬厚いお社だと感じました。 こちらのお社の境内社には珍しい「狛猫」様がいらっしゃいます。 他ではなかなかお目にかからないです。 宮司様がほぼ常駐なさっておられるようで、御朱印を頂戴致しました。
★★★★★ 参拝日:2020年2月25日 01:00
参拝日:2023年9月17日 10:30
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住所 | 京都府京丹後市峰山町泉奥山1165-2 |
五畿八道 令制国 |
山陰道 丹後 |
アクセス | 京都丹後鉄道宮豊線峰山 徒歩14分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0772-62-0225 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://konpirasan.com/ |
御祭神 | 大物主大神 |
創建・建立 | 文化8年(1811) |
旧社格 | 府社 |
由来 | 旧峯山藩主 京極家は、代々縁の讃岐金毘羅権現を深く信仰され、この峰山の地に金毘羅社を勧請したいと念願されていました。 7代藩主 京極高備( タ カ マ サ)公は、同族のよしみから、丸亀・多度津の両京極家にあっせんを依頼し、金毘羅宮にも交渉を続けられました。 そして遂に藩主をはじめ町衆の永年に渡る悲願がかない、一国一社の先例を廃し、御分霊を勧請することができ、文化8年(1811)現在の峰山町泉の地に社殿を建立してご奉祀されたのです。 創建以来現在にいたるまで、歴代の峰山藩主をはじめ町内外の人々から信仰を集めてきました。 特に「願いて叶はざることなき大神」と称えられるご神徳と、当地では例のない壮麗な神域境内や社殿のもと、町内にとどまらず丹後一円から篤く崇敬されることとなりました。 創建時は神仏混淆( コ ン コ ウ)の「金毘羅権現社( コ ン ヒ ゚ ラ コ ゙ ン ケ ゙ ン シ ャ)」と称していましたが、明治に神仏混淆が廃されて社号を「金刀比羅神社」と改められました。そして明治6年には郷社に、大正8年には府社(何れも戦前の旧社格)に格づけられました。 また、明治44年にはご鎮座100年祭の際に180段もの石段が設けられ、現在に繋がる荘厳な神域が整ったのです。 |
神社・お寺情報 | 「狛猫」 令和2年9月1日 京丹後市指定文化財に指定されました。 「名称:石像狛猫 員数:1対 分類:彫刻」 こんぴらさんの “狛猫” は 日本唯一とも言われる 大変珍しい守り神です。 向かって左側のネコは子ネコを抱いているので、母ネコか。頭に手をのせ、「アッ」と口を開けています。 右側のネコは「ウン」と口を閉じ、凛とした姿は父ネコか。 神社になくてはならない、シンボル的な存在は「狛犬」ですが、当社境内社「木島社」には大変珍しい「狛猫」が存在しています。 丹後ちりめん発祥の地 ここ丹後 峰山は、丹後ちりめん発祥の地です。今から約300年前、江戸時代享保のころ、峰山の絹屋佐平治は、断食修行までして研鑚と改良の末、ちりめん織の技法を確立しました。 藩の奨励もあって、ちりめんは丹後一円に広まり、峰山はわが国有数の絹織物の集散地に飛躍しました。 峰山の町には、ちりめん問屋、糸屋が軒を連ね、関西方面から来る織物業者で賑わい、周辺の村々で機織りが盛んになり、農家は絹を生産するための養蚕を営みにしたのです。 神に仕えるネコ 養蚕の大敵は「ネズミ」です。ネズミは、マユや蚕などを食い荒らし、農家に大損害をもたらします。そこででネコの登場です。ネコは、蚕が飼われている部屋にいて、ネズミを追いやります。 ネコは、養蚕になくてはならない大切な存在でした。 そして、今もこの丹後峰山の地で「機織養蚕の守護神」にお仕えしているのです。 |
例祭日 | 大 祭 4月9・10日 春季大祭 7月9・10日 夏季大祭 10月 10日 例 祭 第2日曜 神輿渡御祭 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】じゃすてぃ 【 最終 更新日時】2020/10/02 15:15:16 |