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★★★★ 参拝日:2018年3月25日 00:00
摂津・和泉・河内の三国の境にあるお社。 方位のない聖地とのことで、方位除けで有名です。 江戸時代には和泉国に属する地域だったと推測しています。 本当に有名なお社で、ご参拝の方はいつもいらっしゃる感じです。 御朱印とオリジナルの御朱印帳を頂きました。 駐車場は境内にあり、無料です。
★★★★★ 参拝日:2017年7月8日 00:00
★★★ 参拝日:2020年6月28日 13:56
参拝日:2018年11月18日 00:00
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住所 | 大阪府堺市堺区北三国ケ丘町2-2-1 |
五畿八道 令制国 |
畿内 和泉 |
アクセス | 南海高野線堺東駅東へ500m |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 072-232-1216 |
FAX番号 | 072-233-3826 |
公式サイトURL | http://www.hochigai-jinja.or.jp/ |
御祭神 | 【祭神】方違幸大神(かたたがえさちおおかみ)
[八十天万魂神(やそあまよろずみたまのかみ)=天神地祇舐] [素盞嗚命(すさのおのみこと)=天照大神の御弟神] [三筒男神(みつつおのおおかみ)=住吉大神(表筒男神 中筒男神 底筒男神)] [息気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后] 【合祀】向井大神 [大鷠寮天皇(おおさざきのすめらみこと)=仁徳天皇] [去来穂別天皇(いざほわけのすめらみこと)=履中天皇] [瑞歯別天皇(みずはわけのすめらみこと)=反正天皇] [菟道稚郎子命(うじのわさいらつこのみこと)=仁徳天皇の御弟君] [百済王仁(くだらのわに)=菟道稚郎子命の学問の師 【合祀】水天宮外十三柱神 |
創建・建立 | 人皇10代 崇神天皇8年12月(西前90年)社伝による |
旧社格 | 郷社 |
由来 | 社伝によると、人皇10代崇神天皇5年、国内に疫病が流行し多くの民が死亡した。
これを憂いた天皇は、同8年12月(紀元前90年)勅願により物部大母呂隅足尼(もののべのおおもろすみのすくね)を茅渟の石津原(当地)に遣わせ、須佐之男神を祀らせ給うた。 すると疫病は途絶え五穀は豊穣となったといい、これが方違神社創祀の起源とされる。 創祀より時を経て神功皇后が新羅より凱旋の途次、皇子(後の応神天皇)とは異腹の忍熊王の叛乱に遭うが、三筒男神の御神教により、神武天皇御斎祷の故事に倣い御自ら八十平瓮を作り、須佐之男神を奉祀した神地に於いて方災除けを祈願し皇軍を勝利に導いた。 後に応神天皇はこの地に須佐之男神・三筒男神・母后神(神功皇后)を合せ祀り、方違大依羅神社(かたたがへおおよさみのかむつやしろ)と名づけた。 以後、方災除けの神として朝廷武家をはじめ崇敬篤く、関連文献には、仁徳天皇・孝徳天皇・弘法大師空海・平清盛・後鳥羽天皇・徳川家康などの名前が見える。 明治元年には東京遷都の折に17日間の祈祷の命を蒙り、明治6年3月郷社に列し、明治40年2月水天宮社(村社)を合祀、同40年10月向井神社(郷社)並びに境内社(愛宕神社・神明社・小祠四社)を合祀して方違天王神社と改称したが、同40年11月方違神社に復号した。 また、明治40年12月に八幡社及び武内社を合祀し、近年には大規模な境内整備がなされ現在に至る。 |
神社・お寺情報 | 近郷では「ほうちがいさん」と称され、方違え、方災除けの神として知られる。 |
例祭日 | 5月31日[粽祭(例大祭)] |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 五瓜に唐花 |
更新情報 | 【
最終
更新者】らておやじ 【 最終 更新日時】2023/05/08 16:24:43 |