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基本情報
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住所 |
和歌山県海草郡紀美野町小畑623 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス |
わかやま電鉄貴志川線大池遊園 徒歩56分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
073-489-2162 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
品田和気命 息長帯姫命 玉依姫命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
当宮の由緒は古く、所蔵の『八幡宮歴代記』に依ると神功皇后が三韓よりご帰還の途中紀伊国衣奈浦に着き、難波に船を進ませた時、皇子を武内大臣に託して、鹿紺坂、忍熊の二皇子の難を避けて、この聖仙山麓を選び暫時の頓宮の跡といわれている。その後欽明天皇の御宇(540〜570)年に勅あり、八幡宮を御造営されたとある。ついで永延元(987)年に山城国石清水八幡宮の別宮となり、万寿2(1025)年に阿波の国司に宣し、紀伊国の3分の1をもって本社から末社まで19社、中門、回廊、舞台、神楽殿等棟数22屋を御造営された。万寿4(1027)年に放生会その他神事一切は石清水八幡宮の社例に准じて行うべしとし、石清水から神職葛葉を検知識に補任し、神人36人、本供僧6人、新供僧24人、神子託宣1人以上、神子17人、厳子10人、その他総追捕使、刀禰、番頭、沙汰人を定め置かれた。このため熟田210町をもって神領とし、その内70町は公田、70町社頭神田、70町は庄官給田とした。それより後は幾多の兵乱をも免れたが、天文10(1541)年根来の衆徒が突如来襲し、放火掠奪を極め、このため社殿をはじめ神宝、文書に至るまで悉く灰燼となり、神事祭礼も廃絶した。後16年を経て弘治3(1557)年江州(滋賀県)出身の本願坊真賢の努力により、本殿、若宮社を始め拝殿、武内神社等が建立された。当時の様子は『紀伊国名所図会』に記されている。天正13(1585)年豊臣秀吉が日本国中を平定し、社領はすべて没収され、社家25家皆農家になったが、神事を司る者16人、神子2人の外は皆亡絶した。後、浅野幸長公が紀州に封ぜられ、3石の地を社領として寄進され、鳥居、神輿等を奉納された。元和5(1619)年徳川頼宣公が紀州に封ぜられ、度々社参し鳥居の再建、大絵馬の奉納、銀3枚、神前の御簾、石灯籠等を寄進された。明治2年神仏分離令があり、当宮境内より本願寺、神宮寺等の建物が除去された。又明治41年に氏子内無格社173社を合祀した。明治6年村社、明治17年郷社、大正5(1916)年県社に列する。昭和32年より3年間に亙り本殿、拝殿、平野今木神社、武内神社、玉垂社の解体修理を行い、又平成5、6年に重要文化財保存修理工事(檜皮屋根葺替、塗装)を行い現在に至っている。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
10月15日(近い日曜日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】じゃすてぃ
【
最終
更新日時】2019/05/26 21:43:08
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