みんなの御朱印
0
thonglor17さん
2025年7月19日 09:33
11
ひでパパさん
2025年5月4日 00:00
46
七志乃権兵衛さん
2023年8月6日 15:53
50
まっきーさん
2022年3月12日 11:15
45
kota1さん
2019年3月2日 16:00
50
kota1さん
2019年3月2日 16:00
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
0
117
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県本庄市児玉町金屋142-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR八高線児玉 徒歩12分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0495720098 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御本尊 |
釈迦如来 |
宗派 |
曹洞宗 |
創建・建立 |
|
由来 |
境内掲示板
天龍寺
所在地 児玉郡児玉町太字金屋
当寺は、曹洞宗の寺で吉祥山天龍寺といい、本尊は釈迦如来で、児玉三十三霊場第七番になっている。
寺伝によれば、この寺は昔、興龍禅院と称し元亀年間(一五七〇~一五七三)のころまでは、現在地の西方約三キロメートルの飯倉山にあったが、天正十三年(一五八五)七月に雉岡城主横地左近将監忠春(北条氏邦家臣)が開基となり、現在の地に移して、寺名も天龍寺と改めた。開山は才庵存芸大大尚、中興開基は戸田備後守である。
境内には、県指定文化財の銅鐘がある。この銅鐘は、高さ一・三五メートル、外周の口径が七十六センチメートルあり、当地金屋の鋳物師が作ったもので貴重である。また、本堂石段の手前にある足形をした踏み石の下には、全国百霊場からもらい受けた土が埋めてあり、その足形上に立てば、百霊場巡礼の功徳が授かるといわれている。
昭和五十八年三月
埼玉県
新編武藏風土記稿
兒玉郡金屋村
天龍寺 禪宗曹洞派 比企郡市ノ川村永福寺末 吉祥山ト號ス 本尊釋迦文殊普賢ヲ置 過去帳ノ奧書ニ當寺古ハ興龍禪院トイヒ元龜ノ頃マテ飯倉村ニアリシヲ天正年中橫地氏當所ニ移シテ天龍寺ト改號セリト見ユ 開山才庵存藝慶長四年七月廿八日寂ス 開基花翁宗榮文祿四年八月七日卒ス 此人ノ俗稱ハ傳ヘサレト橫地左近ナルヘシト云 又過去帳ニ大翁宗休天正七年六月廿五日橫地氏ト見エタリ 中興開基ハ戶田備後守ニテ法號月照院嚴功庵玄忠居士慶長十五年九月十一日卒セリ 金山明神社 龍天護法善神 白山社 勢至堂 鐘樓 寬永八年ノ鐘ヲカク |
神社・お寺情報 |
児玉三十三霊場 第七番
境内掲示板
埼玉県指定有形文化財(工芸品)
銅鐘
児玉町大字金屋一四二番地一
昭和三十九年三月二十九日 指定
天龍寺は興龍禅院といって、もとは飯倉村(今の児玉町大字飯倉)に在り、天正年間(一五七三年~一五九一年)に、雉岡城主横地左近将監が現在の地へ移したと伝える曹洞宗の寺院である。
この鐘は山門の上にあり、高さ一三六cm、口径七六cmあって同寺の火災にも焼失を免れた。
金屋地方は、鋳物師の代々居住したところとして有名であり、この鐘は金屋鋳物師の代表的な作品として貴重なものである。銘文に「宝永八年(一七一一年)正月吉日鋳物匠工倉林太左衛門金貞同茂左衛門金珍」とある。
平成元年三月
埼玉県教育委員会
児玉町教育委員会
吉祥山天龍寺 |
例祭日 |
|
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/07/20 11:51:25
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。