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基本情報
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住所 |
長野県上田市真田町長8100 |
五畿八道 令制国 |
東山道 信濃 |
アクセス |
|
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0268-72-2043 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
釈迦牟尼仏 |
宗派 |
曹洞宗 |
創建・建立 |
室町期 |
由来 |
当寺の創建は室町期、横尾城の東の梅ノ木に横尾氏の菩提寺として好雪斉大柏寺と呼ばれ、 横尾氏滅亡(上田原合戦)後、真田信綱公が寺を打越に移し、大光智照禅師を迎え大柏山打越寺と名付けられた。 その後昌幸公が長兄信綱公の牌所として寺堂を改築され、大柏山信綱寺と改められた。 |
神社・お寺情報 |
天正2年(1574)真田幸隆(幸綱)が死去すると嫡子の信綱が真田家を継いだ。翌年の長篠合戦で武田勝頼軍は 織田・徳川の連合軍に敗れたが、この戦いで信綱は弟の昌輝とともに討死した。真田家の当主となってからわずか1年、 39歳の障害を閉じた。
戦死した信綱の首級は、家臣の白川兄弟が陣羽織に包み、主君着用の鎧胴と愛刀の「青江の太刀」(重要文化財・真田宝物館所蔵)とともに 信綱寺へ運び、首級と鎧胴を桜の樹下に埋葬して手厚く弔った。この場所は現在では「墓前の桜」と呼ばれている。 享保2年(1717)寺の移築に伴い、墓所は墓前の桜の位置から裏山の現在地に移され、墓石が建立された。また血染めの 陣羽織と最初の墓所から出土した鎧胴は、寺宝として大切に保管されてる。
『市指定史跡 真田信綱の墓』説明より |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】優雅
【
最終
更新日時】2021/07/03 03:16:07
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