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★★★★★ 参拝日:2018年9月21日 00:00
★ 参拝日:2017年9月6日 00:00
参拝日:2023年12月10日 10:11
参拝日:2023年11月19日 07:42
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住所 | 福岡県福岡市博多区御供所6-1 |
五畿八道 令制国 |
西海道 筑前 |
アクセス | 福岡市空港線祇園 徒歩4分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0922910775 |
FAX番号 | 0922910758 |
公式サイトURL | http://shofukuji.or.jp/wp/ |
御本尊 | 三世佛(釈迦・弥陀・弥勒) |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建・建立 | 建久6年(1195年 |
由来 | 聖福寺は建久(けんきゅう)6年(1195年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝公よりこの地を賜り、栄西禅師(ようさいぜんじ)を開山として創建された日本最初の禅寺です。山号を安国山(あんこくざん)、寺号を聖福至仁禅寺(しょうふくしぜんじ)といいます。元久元年(1204年)後鳥羽天皇(後上皇)より、日本で最初の禅寺である「扶桑最初禅窟(ふそうさいしょぜんくつ)」の勅額を賜りました。又、栄西禅師は中国(南宋)よりお茶の種子を請来し、茶樹の栽培、喫茶の方法を伝え、その普及に大いに貢献し、後に茶祖と称されました。栄西禅師が京、栂尾高山寺の明恵上人に茶の種を分けてあげた話は有名な事です。 聖福寺の境内は、創建当初、鎌倉幕府源頼朝公より方八町ほうはっちょう(約900余m四方)を戴き、七堂伽藍しちどうがらんを建立して、丈六じょうろくの釈迦しゃか・弥勒みろく・弥陀みだの三世仏さんせぶつを安置していたと伝えられています。塔頭たっちゅうも多い時には38院(現在は6院)を数えました。境内の一部は寺中町を形成していたと言われ、今に残る博多の地名で、普賢堂ふげんどう・中小路しょうふくじ・魚町うおまち・店屋てにや・蓮池はすいけ・西門さいもんなどは当時からのものです。又、栄西禅師は文治5年(1189)中国(南宋)から持ち帰った菩提樹ぼだいじゅを香椎かしいの文治寺ぶんじじ(後報恩寺ほうおんじ)に植え、後、東大寺鯖木さばきの跡にも建久6年(1195)植え、各地に植えられるようになりました。 室町時代に入って、聖福寺は五山十刹ござんじゅっさつ制度の十刹じゅっさつ第三位だいさんい(後に第二位)に序させられました。室町幕府の衰退と戦乱により荒廃しますが、天正15年(1587)の太閤町割たいこうまちわりにより寺域も方四町に狭められ、天正17年に第110世耳峰にほう禅師が二度目の再建をし、ほぼ現在の伽藍配置になりました。 境内には勅使門ちょくしもん・山門さんもん・仏殿ぶつでん・方丈ほうじょう・庫裡くり・禅堂ぜんどうなどの禅宗様式の七堂しちどう伽藍がらんが建ち、周りに総門そうもん・開山堂かいさんどう・経蔵きょうぞうや塔頭が建ち並んでいます。聖福寺は初め建仁寺派けんにんじはに属していましたが、江戸時代に黒田長政くろだながまさ公の命により妙心寺派みょうしんじはに転派しています。昭和44年(1969)に山内寺院を含め境内一帯が国の史跡に指定されました。 |
神社・お寺情報 | JR博多駅より 徒歩約15分 地下鉄でお越しの方 ・地下鉄空港線「祇園」より 徒歩約5分 ・地下鉄箱崎線「呉服町」より 徒歩約15分 バスでお越しの方 ・「祇園町」バス停より 徒歩約7~8分 ・「奥の堂」バス停より 徒歩約7~8分 車でお越しの方 ・九州自動車道「福岡インター」より 都市高速「呉服町ランプ」下車 ・九州自動車道「大宰府インター」より 都市高速「千代ランプ」下車 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】Y.1966.S 【 最終 更新日時】2019/10/18 09:20:48 |