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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市南区大谷口2285 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR武蔵野線東浦和 徒歩15分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
048-822-2254 調神社 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
素戔嗚尊(すさのおのみこと) |
創建・建立 |
不詳 |
旧社格 |
村社 |
由来 |
当社は、さいたま市南区大谷口にある神社である。
大谷口村は、中尾・広ヶ谷戸・道祖土・柳崎の4か村も含んで一村をなしていたが、元禄年間(1688~1704)に分村したという。当社は、この5か村の鎮守社であり、慶安2年(1649)に朱印地10石を拝領していることから、分村以前から祀られていたと考えられる。
明治4年に村社に列格、明治41年稲荷社を境内に遷座したという。
境内掲示板
氷川神社 御由緒
□御縁起(歴史)
当社は、大宮台地浦和支台の北端に祀られており、その北方の低地にはかつて湿地帯が広がっていた。
『風土記稿』によれば、大谷口村は、中尾・広ヶ谷戸・道祖土・柳崎の四か村も含んで一村をなしていたが、元禄年間(一六八八~一七〇四)にそれぞれ分村したという。当社はこの五か村の鎮守として崇敬され、慶安二年(一六四九)には朱印地一〇石を拝領していることから、分村以前から祀られていたことがわかる。本社である武蔵一宮氷川神社は、正保期(一六四四~四八)の古図を見ると、広大な見沼を望む高鼻と呼ばれる高台の鬱蒼とした杜の中に鎮座しており、当社もこれに倣って湿地帯と望む高台の地に奉斎されたことは想像に難くない。
『風土記稿』大谷口村の項には「氷川明神社 中尾・広ヶ谷戶・道祖土・柳崎四村の鎮守なり、御朱印十石は村内及び柳崎村にて賜れり末社三神社、天神社、別当安楽寺 天台宗、仙波中院の末、養寿山観明院と号す、本尊は弥陀に安ず」と記されている。安楽寺住職の末裔である野口吉明家所蔵の文書によれば、安楽寺は文久二年(一八六二)に無住となり、本山の学僧であった徳王房順盛を留守居とし、同四年(一八六四)に住職とした。順盛は神仏分離後、還俗して名を野口耀と改め、当社の祀職となり、当社は明治四年に村社に列した。
□御祭神 ... 素戔嗚尊 |
神社・お寺情報 |
新編武蔵風土記稿
足立郡大谷口村
氷川明神社 中尾廣ヶ谷戶道祖土柳崎四村ノ鎭守ナリ御朱印十石ハ村內及ヒ柳崎村ニテ賜レリ 末社 三神社 天神社 別當 安樂寺 天臺宗仙波中院ノ末養壽山觀明院ト號ス本尊ハ彌陀ヲ安ス |
例祭日 |
8月1日 |
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/03/12 06:59:34
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