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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市緑区東浦和2-48 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR武蔵野線東浦和 徒歩8分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
048-873-3503 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
平将門公 |
創建・建立 |
不詳 |
旧社格 |
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由来 |
明神社<浦和市井沼方三九〇(井沼方字馬堤)>
平安中期の武将である平将門は相馬小次郎とも称した。下総を本拠として関東各地に勢力を伸張し、中央派遣の国司を次々に追放して一族を国司に任命し、自ら新皇と称して関東の自立を図った。『将門記』によると、将門は侠気に富む人物であり、皇胤の自覚をもちながら武芸によって身を立てようとしたつわものであったという。このような将門の行動は関東の民衆に大きな影響を与え、将門を英雄として仰ぐ気風は時とともに強まり、死後の霊魂説話や子孫説話も作られていった。
当社は平将門公を祀り、その創建は将門にかかわる伝説に基づいている。ある時、将門の家来が戦に敗れて落ち延び、この地の国谷家にしばらくの間かくまわれた。このような縁で、後に、将門の末裔に当たる奥州相馬氏が祀った相馬の相馬小高神社(福島県相馬郡小高町鎮座)から分霊を当地に勧請したという。
『明細帳』には「往古ハ神明社ト唱ヘシガ、イツノ頃カ明神社と改称ス」と載せられている。明治初年には無格社とされた。
昭和四十一年の武蔵野線開通に伴い、境内地に神明社と二社の稲荷社が移され、本殿も一〇メートルほど南東の現在地に引き移された。また、昭和六〇年に鳥居を再建し、同六十二年には本殿を再建し、更に翌六十三年には境内の神明社と二社の稲荷社を再建、本殿の覆屋を新築した。
(「埼玉の神社」より) |
神社・お寺情報 |
▼ 境内社:神明社、二社の稲荷社
境内碑
明神社新築記念碑
昭和63年9月吉祥日
浦和市長中川健吉書
碑文
明神社は昔から井沼方村の鎮守である。
祭神は天照大御神であり往古は神明社と唱えて居たが何時の頃か明神社と改称されたと宗教法人登記書類に記されている。
明治初期に作られた武蔵國郡村誌によれば平社、境内の面積は縦三十六間、横十八間、二百四十九坪、村の中央にあり、平将門を祭り祭日は一月十五日と記されているが何時の時代からか十月十五日に変り、今日に至ったものである。
昭和四十一年武蔵野線の開通により境内が買収され同時に神明社境内も買収となった為神明社及稲荷社(二社)を明神社境内に移鎮され、現在の位置に祭られたものである。
大正十五年に建てられた木造の鳥居が修理不可能のため昭和六十年四月御影石に建替えた、神社との調和がとれず昭和六十二年明神社を建替、長期保存のため上屋も新築した、此の間地元の方々の献身的な奉仕があった事を記しておく。
よって先々代伝統の鳥居の沓石を用い記念の碑を建て永く後世に伝えるものである。
昭和六十三年九月吉日 |
例祭日 |
おびしゃ:3月初午
例祭 :10月15日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2021/10/16 19:51:26
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