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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県本庄市栄3丁目400 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
長野新幹線本庄早稲田 徒歩18分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0495-21-6672 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
素盞鳴尊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
第62回伊勢神宮式年遷宮記念
金鑽神社 御由緒
本庄市栄三ノ五
□御縁起(歴史)
本庄台地の末端近くに位置する東富田と西富田は、古くは一つの村であったが、中世の末期に分かれたものと思われる。 このことは、鈴木弘家文書の天正十八年(一五九〇)四月の「信茂判物」に「両富田之村」とあることからも推察できる。 当社は、そのうちの西富田の鎮守として祀られてきた社である。
創建について『児玉郡誌』は、「当地は、鎌倉時代には武蔵七党児玉党の支族・富田三郎近家(親家)が居住したところで、当社はこの近家が勧請したものである」旨の言い伝えを載せている。ここにいう富田近家の居館と伝えられ、平安時代から鎌倉時代にかけて築造されたものと推定される屋敷の跡は、村の中央にあり、今では空堀の一部が残存するだけであるが、かつては水堀が残っていたらしく、女堀川の北側には「堀ノ内」の地名がある。こうした周辺の状況を考えると、当社の創建に富田氏がかかわった可能性は高い。
また、『児玉郡誌』は、新田義純の後裔である岩松満次郎が江戶時代に書いた石額があること、社殿は茅葺きで古い構造のものであること、かつてより京都吉田家の配下の神主内記が奉仕してきたことを記している。この記事に見える「石額」は現存し、表面には「金鑽大明神」とあるので、当時、京都の吉田家から大明神号を受けていたことが推察されるが、年紀がないため年代は不明である。 |
神社・お寺情報 |
御神燈 嘉永二己酉年九月(1849) |
例祭日 |
・元旦祭(一月一日) ・祈年祭(二月十九日) ・祇園祭(七月十五日前後の日曜日) ・秋季例大祭(十月十九日) ・新嘗祭(十二月十四日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2021/09/26 09:38:46
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