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基本情報
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住所 |
埼玉県児玉郡上里町神保原町965 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線神保原 徒歩3分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0495-76-3238 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
・高皇産霊神 ・神皇産霊神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
第62回伊勢神宮式年遷宮記念
石神社 御由緒
上里町神保原九六五
▢御縁起(歴史)
当地は中世の石神郷と考えられる。『風土記稿』では、烏川から引き揚げた石剣(石棒)を祀って鎮守としたことによる地名と伝える。全国の石神の総社とされ、日本総社石神大明神と称す。主祭神は高皇産霊神・神皇産霊神であり、大己貴命・少彦名命が合祀されている。
元弘三年(一三三三)に新田義貞が上州より鎌倉に攻め上る際、戦勝を祈願し、以来この鎮守の森を「勝の森」と称するようになったという。また、天正十年(一五八二)に北条氏邦・氏直と滝川一益が戦った神流川合戦の際、氏直が参詣して戦勝祈願したとも伝えられる。
社殿は元禄十六年(一七〇三)九月に再建、昭和二年九月拝殿改築、幣殿新築された。昭和三十八年十一月、不審火により社殿を全焼したが、神体の石棒は難を逃れた。社殿は昭和四十五年に再建された。
境内社は八坂神社・磯崎社・勝盛神社・富士浅間神社で、八坂神社には、境内社の白鳥明神社・天王社及び村内の天王社一社・稲荷社三社・白山社一社が合祀されている。磯崎社は石体二座の背面に嘉応元年(一一六九)七月銘があり、元来養善寺の薬師堂で、神仏分離の際に当号に改称した。勝盛神社は明治四十年八月に字柿ノ木の三社神社・字中浦の琴平神社を合祀し、勝の森にちなんで勝盛神社とし、天手長雄社・稲荷社・琴平社を祀っている。富士浅間神社は 明治四十年八月に字東台に祀られていた社を境内社として移転したものである。
境内掲示板2
石神社
所在地 上里町神保原町六九五
石神社の祭神は、高皇産霊神、神皇産霊神、大己貴命、少彦名命である。
創立については不詳であるが、古くから石神村の鎮守で、別当照蓮寺持であったが、明治初期に神職の受持となったという。御神体は全長六尺ほどの石棒である。一 般にこのような石棒は、縄文時代中期に関東、中部地方を中心に発達した信仰物と推定されている。この石神社は昔は石神の日本総社であったと伝えられ、旧村名石神もこの石棒から名付けられたものという。現在、奥の宮に奉安されているが、二ヶ所にひびが入っているため鉄棒で固定されている。
また、当社には、元禄十六年(一七〇三)九月の社再建のときの棟札が保存されている。現社殿は、昭和四十五年に改築されたものである。
昭和六十一年三月
埼玉県
上里町
新編武蔵風土記稿
石神村
石神社 村ノ鎭守ナリ別當照蓮寺持神體ハ烏川ヨリ引揚シ石剱ニテ長サ三尺ニ餘レリ勸請ノ年代ヲ傳ヘス元祿十六年再造ノ棟札アリ 末社 白鳥明神 天王 萬日堂 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
一月一日 歲旦祭
二月十八日 柿木稲荷社祭
四月 日 春季大祭
七月十四日 浅間神社大祭
七月 日 夏季大祓祭(おすがた)
九月 日 敬老の日 祈願祭
十一月二日 秋季大祭前夜祭
十一月三日 秋季大祭
十一月 日 七五三祭
十一月三十日 新嘗祭、御手長社祭
十二月 日 冬季大祓祭(おすがた)
十二月三十一日越年祭(御焚きあげ) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2023/06/27 08:40:39
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