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参拝日:2021年4月18日 09:15
式内社で歴史も格式もあり檜皮葺の屋根、参道からの雰囲気もいい感じです。恐らく紅葉のシーズンは名所になると思う。なのにあちこちが朽ちていっているのが悲しい。何とかならないのでしょうか。
★★★★ 参拝日:2019年11月4日 14:25
延喜式内社(論)。村社。 鳥居参道は南側。 五月山動物園横にご鎮座。 車は境内東側に停められそうでしたが、未確認です。 南側の道から石段を上ると鳥居です。 くぐると石畳の参道があり、木々の間を歩くと神門です。 舞殿があり、拝殿ご本殿。 木々が多く心地よい感じでした。 池田市内で最古の神社とのこと。 池田駅南側の呉服神社とは深い関係があります。 伊居太(いけだ)神社は「上の宮」と呼ばれ、穴織媛(あやはとりのひめ)。 呉服神社は「下の宮」と呼ばれ、呉服媛(くれはとりのひめ)を祀ります。 御朱印は社務所にて宮司様の奥様にいただきました。 とてもお優しい方で、一時間弱ほどお話しをお伺いさせていただきました。
★ 参拝日:2017年12月11日 00:00
参拝日:2022年9月3日 15:07
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住所 | 大阪府池田市綾羽2−4−5 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス | 能勢電鉄妙見線絹延橋 徒歩9分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 072−751−4652 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.ikeda-jinjya.jp/ |
御祭神 | 穴織大明神 応神天皇 仁徳天皇 |
創建・建立 | 仁徳天皇77年 |
旧社格 | 村社 |
由来 | 正式名称は穴織(あやはとり)宮居伊太神社。歴代天皇・皇族の勅願所として天皇が勅使をたてて祭事の行われる。神社としての起源は非常に古く西暦460(?)年頃にまで遡るよう。中国の霊帝4代目である阿知使主とその子、都加使主が日本に帰化し様々な文化的貢献をする。両人は天皇に願い出て、織物・衣服の技術向上のため呉の国に渡り、ついに裁縫と機織の師を得て帰国する。その功績により阿知使主と都加使主は、猪名の津(川辺郡から池田・豊中にかけて)を領地として与えられて、同地で技術教育にあたったとのこと。 これら関係者の存命中、多くの技術者を育成し日本の技術発展に貢献したとして天皇は、勅願により神社を建立。正式名称(後世に命名)の「穴織宮居伊太神社」の「穴織」とは、その時に来日し機織の指導に当たった「穴織・呉織の師」に由来。 その後、860年(貞観2)清和天皇勅定をもって社殿の修復、源満仲公造営再興して1325年(正中2)、後醍醐天皇によって「穴織宮居伊太神社」の宸筆を受け命名される。1339年(暦応2)足利尊氏により更に拡張は続き、社殿の改築と寺領の寄付あり。 その後の天正年間(1573~1592)、荒木摂津守村重の謀反により、池田のめぼしい社寺はことごとく戦火に遭い、伊居太神社も難を逃れる事はできず全焼。1604年(慶長9)内大臣豊臣秀頼公は、片桐且元を普請奉行に命じて社殿を再建、造営。現在に至る。 |
神社・お寺情報 | 延喜式内社 正式名称は穴織宮伊居太神社 |
例祭日 | 10月17日 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】んーなん 【 最終 更新日時】2024/03/10 11:36:59 |