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★★★★ 参拝日:2021年11月21日 14:00
ぼけ封じ関東三十三観音霊場 第二十八番
★★★★ 参拝日:2023年8月11日 09:21
★★★★ 参拝日:2022年3月5日 10:00
御朱印は書き置きでした
★★★★ 参拝日:2021年10月16日 09:00
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住所 | 埼玉県熊谷市上中条1160 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0485224084 |
FAX番号 | 0485249134 |
公式サイトURL | https://userweb.inets.jp/jokoin/index.html |
御本尊 | 釈迦三尊 |
宗派 | 天台宗 |
創建・建立 | |
由来 | 境内碑
沿革 藤原鎌足十六代の子孫の判官常光公が長承元年武蔵の国司に任ぜられて下向し、この地に館を構えて中條の姓を用いた。その子有家の長男従四位下中藤次家長は文武両道に秀いで、鎌倉幕府の評定衆となり我が国最初の法律である貞永式目を定めた。建久三年二月祖父常光公の菩提を弔うためその館を寺とし龍智山びろしゃな寺常光院と名づけた。以来廿五の末寺を有し天台宗の大寺として十万石の格式で待遇された。 昭和廿六年三月埼玉県は往時(上の画面)の境内地一万八千余坪のうち現在の境内全域三千四百余坪を、史跡として指定し、文化財として永く後世に伝えることにした。 第四十世現董 小久保康田しるす 新編武藏風土記稿 埼玉郡上中條村 常光院 天台宗東叡山末龍池山廬舍那寺ト號ス古ヘハ何レニ屬セシ寺ナリヤ永祿三年ヨリ梶井宮ノ末ニ屬セシ由今モ其文書ヲ藏セリソノ文中ニ寄栖郡龍智山ト記セハ後ニ智ヲ池ノ文字ニ改メシナラン寄栖ハ埼西ナルヘシ其後東叡山御建立アリテ今ノ如クナレリ寺領三十石ハ慶長九年御朱印ヲ附セラル本尊釋迦ノ三尊ヲ安ス開山金海開基ハ中條判官常光トイヘリヨリテ院號トセリトサレト中條ノコト卒名モ傳ヘサレハ其事蹟ヲ詳ニセス當寺元ハ下忍村淸水ト云所ニアリテ聖天院ト號セシト云既ニ天正十八年太閤ヨリ與ヘシ禁制ノ文中ニ武藏國忍ノ內淸水正傳院トアリコノ正傳ハ全ク文字ヲ假借シテ記セシナルヘシ其後文祿三年當所ニ移サレ左中將忠吉卿ヨリ地ヲ賜ハリシ時家臣小笠原三郞左衞門ヨリ寺西藤五兵衞小泉彌三ノ兩人ヘ出セシ證文ニ下忍聖天院ト記セリ其後今ノ院號ニ改メシナレハ中條判官常光ノ開基ニシテ院號モソレニヨリテ銘スト云ハ疑シキコトナリ所藏ノ文書左ノ如シ 武藏國崎栖郡龍智山之事可爲當門之末寺旨所定置如件 永祿三年正月三日 天台座主二品親王 花押 禁制 武藏國忍之內淸水 正傳院末寺共 一軍勢甲乙人等濫妨狼藉事 一放火事 一對寺家門之輩非分之儀申懸事 右之條々堅令停止訖若於違犯之族者速可被處嚴科者也 天正十八年五月日 御朱印 下忍聖天院屋敷小笠原半右衞門御給之內ニ出シ候爲其替地於上中條之鄕中ニ野畑貮町彼御坊之方渡可被申候者也仍如件 午卯月朔日 小 三左衞門 花押 寺西藤五兵衞殿ヘ 小泉彌三殿ヘ 山王社 辨天社 稻荷社 千形社 櫻社 三佛堂 三尊彌陀釋迦ヲ安ス 鐘樓 天和年中鑄造ノ鐘ナリ 中條判官墓 境內ニアリ碑銘アレト事實ニ益ナケレハ取ラス尤石理モ新シク年代モノセス |
神社・お寺情報 | 関東三十三観音・第28番札所
関東九十一薬師・第38番札所 関東百八地蔵・第16番札所 武蔵国十三仏・第13番札所(虚空蔵菩薩) 境内掲示板 厄除大師緣起 当山にお祀りしてある厄除大師は永観三年(九八五年)の正月三日に遷化されたので元三大師と申し上げます。大師は修業の結果、神通力を得られて多くの人々の苦難を救われ、今もなお角大師のお姿のお札が厄よけとして家々の門口に貼られます。 この魔物のように見えるお姿は降魔の修法で自ら恐しい姿を示して厄病を降伏したときの姿と いわれ、また、三十三身に変化してそれぞれの苦しみに応じた霊験をあらわし私達を救って下さいます。どこのお寺や神社にもある「おみくじ」を制定されたのも元三大師さまです。 この霊験あらたかな大師は各地で祀えておりますが当山では秘佛として今日まで公開しませんでしたが皆さまの強い要望で一千年の御遠忌を期して御信心の方にご霊験をお分ちしていただきたいたました。 境内掲示板 埼玉県指定文化財史跡 中条氏館跡 指定年月日 昭和二十六年三月三十一日 所在地 熊谷市大字上中条 平安時代末期、藤原氏より出た常光は、長承元年(一一三二)、中条の地に館を構え中条氏を名乗るようになりました。その孫家長は文武に秀で、鎌倉幕府の評定衆となり貞永式目の制定 に加わりました。 中条氏館跡は一万八千坪ほどの長方形で、現在は三分の一が常光院の境内となっています。常光院は建久三年(一一九二)、家長が祖父常光のため館の一部を寺としたもので、土塁や堀に 鎌倉時代の居館の姿を見ることができます。 平成十四年十一月 熊谷市教育委員会 境内掲示板 熊谷市指定有形文化財・建造物 「常光院本堂」 平成30年3月30日指定 常光院本堂は埼玉県指定史跡「中条氏館跡」に位置し、寛文12年(1672)に唐破風の大玄関が再建された後、元禄4年(1691)に木造平屋茅葺屋根の本堂が建立された。規模は桁行22.5m 梁行17.9mである。茅葺屋根の社寺建築としては県内最大級の規模を誇る。 本堂より発見された棟札には「飯堂」と称される建造物新造の建立年について貞享4年(1687)と記されており、同時期に本堂または新造された建造物の存在を示すものである。 建築様式は、方丈建築の寄棟茅葺、屋根は和小屋構造、屋根構造は竹または丸太の垂木の上に杉皮で覆い、縄、針金の類を用いて茅を葺く技法が用いられている。 常光院本堂は中条氏及び古刹常光院の歴史的経過を今に伝える貴重な建造物として保存されており、内部意匠や建築技術の水準など特筆すべき点も多い。 また、調査により判明した内部の梁構造の特色や、茅葺の葺き替えを定期的に実施し現在まで壮観な屋根構造を維持している点は、熊谷地域の社寺建築を考証する上で歴史的意義を有するものである。更に、同本堂は上中条地区のみならず北武蔵の地域圏における平安時代以降の歴史や文化を考える上で、常光院の存在価値を明らかにする貴重な建造物である。 平成30年6月 熊谷市教育委員会 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2023/08/12 07:07:22 |