みんなの御朱印
21
はるあすとーちゃんさん
2021年8月29日 11:25
18
KiKiさん
2020年7月22日 19:40
20
まっきーさん
2019年10月20日 15:00
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県行田市桜町2-20-44 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
秩父本線東行田 徒歩1分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0485563603 |
FAX番号 |
0485563624 |
公式サイトURL |
|
御本尊 |
|
宗派 |
真言宗智山派 |
創建・建立 |
|
由来 |
境内掲示板
長久寺
所在地 行田市桜町
長久寺は、新義真言宗の寺で應珠山擁護院長久寺と称し、本尊は胎蔵界大日如来である。
創立は文明年間(一四六九~一四八七)で、開基は成田氏十四代下総守顯泰、開山は僧通傳である。顯泰は忍城を築くにあたって、鬼門鎮護の道場を建立して、武運長久を祈り、寺名も長久としたという。長久寺の古記録に応永年間(一三九四~一四二七)成田五郎家時建立とあり大檀那顯泰となっている。この古記録は宝暦十二年(一七六二)九月に記されたものである。これから察すると、成田家中興の英主であった祖父の家時に開基の功徳を譲って、顯泰は大檀那となったと思われる。
長久寺の本堂は、天正十八年(一五九〇)石田三成忍城水攻めの時、兵火によって焼けたのを始めとして、再建、焼失をくり返し、現在の堂宇は弘化五年(一八四ハ)に建立したもので、明治二十八年に瓦葺に改めた。
なお、本寺には市指定絵画の「絹本着色両界曼陀羅・紙本着色十二天画像」、市指定書籍の「大般若経」、市指定の天然記念物の「菩提樹・公孫樹」等がある。
昭和五十七年三月
新編武藏風土記稿
埼玉郡長野村
長久寺 新義眞言宗山城國醍醐報恩院末應珠山擁護院ト號ス寺領三十石ノ御朱印ハ慶長九年十二月賜ハレリ當寺ハ忍城ノ艮ノ方ニアレハ昔ヨリ城主ノ祈願所タリシト云忠吉卿御在城ノ時モ御歸依アリ尾張淸洲ヘ御移リノ後彼城ノ艮ノ方ニモ別ニ長久寺ト御造營アリテ今ニ存セリ當寺ノ草創ハ文明ノ頃成田下總守顯泰開基旦那トシテ通傳法印起立ス顯泰法名淸嶽成安文明十六年四月八日卒ス通傳ハ同十八年八月朔日化ス後顯泰ノ子下總守親泰再興セリ法名貞崗宗廉大永四年六月八日卒ス本尊大日ヲ置ク
鐘樓 元祿七年松平伊豆守信輝願主トシテ鑄造ス 護摩堂 興敎大師ノ作レル坐像ノ不動ヲ安ス 久伊豆社 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
行田市指定文化財
長久寺山門(付扁額)
平成21年7月30日指定
この山門は、 長久寺の境内南側に位置し、東面を正面としています。本瓦葺、切妻造りの四脚門で、本柱桁行寸法3.38m、側柱梁間寸法2.53m、両端に昭和60年に改修された脇塀が附属しています。
山門の建立年代を記す棟札などは発見されていませんが、桃山時代の特色を引継ぐ建物装飾が見られることや古文書等の記録などから、江戸時代初期の建造と推測されます。
長久寺は、天正18年(1590)の石田三成らの軍勢による忍城攻めの際に兵火を受けていて、 この山門はその復興の際に建てられた可能性も考えられています。
山門の正面には後付けと思われますが、本山智積院第七世能化であった運敞筆の扁額が掲げられています。運敞は延宝4年(1676)に長久寺に立ち寄っていることから、その折にこの扁額は書かれたものと思われます。
この山門は、江戸時代初期の北関東における寺院建築を知る上で貴重な建造物であり、一体となっている扁額からも長久寺の格式と本山との関係がうかがえる歴史資料であると言えます。
平成23年 行田市教育委員会
境内掲示板
行田市指定文化財
絹本着色両界曼荼羅
昭和34年3月19日指定
両界曼荼羅は、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅から成り立っています。
胎蔵界曼荼羅は、「大日経」が説く真理や悟りの境地を描いたものです。
金剛界曼荼羅は、「金剛頂経」に基づいており、大日如来の智恵を表しています。
この曼荼羅は、描表装が用いられており、共に縦140cm、横108cmを測ります。裏に墨書があり、戦国時代の元亀3年(1572)に成田家家臣の手嶋佐渡守によって寄進されたことが記されています。また、江戸時代の寛永3年(1626)、享保5年(1720)、昭和30年(1955)の修復の記録も併記されています。
平成26年3月 行田市教育委員会
行田市指定文化財
紙本着色羅漢画像
昭和34年3月19日指定
月光のもとで花瓶に白蓮華を生ける様子を見守る禅林の僧侶が描かれた1幅と、やはり月光のもとで読経に努める禅林の僧侶が描かれた2幅からなる、3幅対の羅漢画像です。
3幅ともほぼ同じ大きさで、縦123.1~123.6cm、横55.7~56.6cmを測ります。
羅漢とは釈迦に従った仏弟子たちのことです。この羅漢画像は、淡彩な色調の作品で、江戸時代初期の作品との指摘もありますが、長久寺では古来より南北朝~室町時代初期の画僧である兆殿司(明兆)の作と言い伝えられています。
画像が納められた箱の蓋裏に、元文4年(1739)に忍谷郷の清水宗壽がこの羅漢画像を長久寺に寄付したことが記されています。
平成26年3月 行田市教育委員会
境内掲示板
行田市指定文化財
長久寺の公孫樹
昭和39年1月31日指定
長久寺は文明年間(1469~1478)に忍城主成田顕泰が、忍城の鬼門鎮護のために武運長久を祈願して建立した寺院です。
その長久寺本堂前庭にあるこの巨木は、樹齢300年以上と推定される公孫樹の雄木です。樹高28m、目通り幹周4.4m、根回り7.6mを計ります。
幹がまっすぐに伸びる損傷のない見事な巨木で、樹勢も旺盛で枝は傘状に四方に広がっています。
行田市内有数の巨木として貴重な天然記念物であると言えます。
平成23年 行田市教育委員会 |
例祭日 |
|
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/06/18 06:12:01
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。