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★★ 参拝日:2023年6月17日 16:43
参拝日:2023年5月5日 17:14
参拝日:2023年5月5日 17:01
★★★★ 参拝日:2023年5月5日 11:00
釈迦降誕祭
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住所 | 埼玉県坂戸市仲町12-69 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 東武東上本線坂戸 徒歩9分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0492810061 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://www.eigenji.com/ |
御本尊 | |
宗派 | 曹洞宗 |
創建・建立 | |
由来 | 境内掲示板
曹洞宗長溪山永源寺 永源寺の開基島田家は清和源氏の流れを汲み土岐光信より九代、満貞によって島田姓となった。 その昔、戦国動乱の天正十二年頃、徳川家康腹心の配下が関東各地に送り込まれた。その中の一人として、三河武士旗本島田次兵衛尉重次が坂戸とその近村を領有し統治した。 重次はこの坂戸の地を島田家一門の居住所と定め、折から松山城落城の落武者等を坂戸へ招き荒廃した土地を開拓し坂戸の開発と興隆につとめた。 文禄元年(一五九二)ここに一寺を建立して島田家代々の菩提所とし、すでに三河にて隠居し、入道永源と号していた父右京亮利秀を招じて開基とし、その号をとって永源寺の寺号とし、当時関三刹の越生龍ヶ谷の龍穏寺十四世大鐘良賀大和尚を請じて開山(初代住職)となした。 慶長十八年に徳川二代将軍秀忠公より寺領廿四石余の御墨印を賜わり、寛永十三年には御朱印に改められ代々廿四石余の寺領を拝領した。 万治三年、永源寺四世住職鉄心御州大和尚は大本山永平寺廿九世大覚仏海禅師として曹洞宗門最高の栄誉に昇進され、時の後西天皇より賜わった勅賜禅師号の御宸筆は現在永源寺の寺宝として大切に保存されている。 新編武藏風土記稿 入間郡坂戶村 永源寺 曹洞宗越生龍穩寺ノ末 長溪山ト號ス 天正十八年嶋田次兵衞重次當村ヲ賜リシ後慶長十二年重次ノ父左京亮某三河國ヨリ爰ヘ引移シ己カ菩提所トナシタレハ 是ヲ當寺ノ開基トセリ 此人ハ慶長十八年五月十五日卒ス 法名源翁永源庵主 開山ハ本山十四世大鐘良賀慶長十九年正月二十八日寂セリ 後寬文二年丙丁ノ災ニ罹リシヲ明ル三年嶋田出雲守再興セシト云リ 寺領ハ坂戶鄕ノ內新田二十四石ヲ慶長十八年臺德院殿ヨリ賜ハレリト云 表門 裏門 コノ門ハ慶長年中佐竹左京大夫當寺ヘ來リシコトアリシニ 其時嶋田某俄ニ建シトテ 土人佐竹門ト云リ 佐竹氏ノ來リシユエンハ知ス 樓門 樓上ニ撞鐘ヲカク 延寶八年ノ銘ヲ彫ル 本堂 本尊釋迦ヲ安ス 衆寮 虛空藏ヲ置リ 觀音堂 七觀音ヲ安セリ 金毘羅秋葉合社 白山社 |
神社・お寺情報 | 坂戸の釈迦降誕祭
坂戶市指定無形民俗文化財 永源寺は江戸時代に、徳川家に仕えた嶋田利秀入道永源が建てました。本堂の裏に、嶋田家代々のお墓があります。 このお寺では毎年五月に、「坂戸のお釈迦さま」として親しまれている釈迦降誕祭が行われます。この日は、お店や植木屋がたくさん出て、大いににぎわいます。 「坂戸のお釈迦さま」として親しまれている永源寺の釈迦降誕祭は、お釈迦さまの誕生日を祝うお祭です。本堂前に設けられる花御堂の誕生仏に、竹のひしゃくで甘茶をかけて祈願する「花祭り」の行事で、毎年五月に行われます。 徳川家の重臣であった嶋田家は、徳川家康の関東入城に従い、坂戸を所領地として与えられました。慶長八年(一六〇三年)嶋田利秀入道永源が、嶋田家の菩提寺として永源寺を創建しました。以降、嶋田家は江戸幕府の要職を歴任しましたが、寛文二年(一六六二年)嶋田忠政が長崎奉行を勤めたとき、中国伝来の降誕釈尊仏などを永源寺に納め、これを契機に釈迦降誕祭が始められたと言われています。 その後、永源寺の第二〇世住職となった黙室良要禅師により七堂伽藍が整備され、文化十年(一八一三年)には「花祭り」として盛大に行われ、「坂戸のお釈迦さま」として関東一円に知られるようになりました。 誕生仏に甘茶をかけた竹のひしゃくで、桑に水をまくとご利益があると信じられ、「お釈迦さま」の売上で坂戸の景気が左右されるとも言われました。「お釈迦さまに雨が降ると坂戸では 蚊帳がつれぬ」 ということわざが残っています。 平成十九年三月 坂戶市教育委員会 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/03/24 08:01:34 |