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基本情報
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住所 |
山口県下関市豊浦町大字黒井一五四一番地 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 長門 |
アクセス |
JR山陰本線黒井村 徒歩3分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0837-74-1869 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
(主祭神)三穂津姫神(配祀神)仲哀天皇 応神天皇 神功皇后 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
平安時代の『延喜式神名帳』に、「村屋神社」と記載されているのが当杜屋神社で、長門国式内三社のうちの一社である。主神三穂津姫神については、『日本書紀神代下』に次のような記載がある。「時に高皇産霊尊、大物主神に勅したまはく、汝若し国神を以て妻とせば、吾猶ほ汝を疏き心有りと謂はむ。故れ今吾が女三穂津姫を以て汝に配せて妻と為む。宜しく八十萬神を領ゐて、氷に皇孫の為に護り奉れと。乃ち還り降らしむ。」姫神は、出雲大社の御祭神大国主命(大物主神)の后神とある。当社創建の伝説として、次のようなことが伝えられている。一、筑紫平定を終えられた日本武尊が、海路穴門国(長門国)に入られたところ、大海化にあって命が危うくなった。その時、亀甲に乗った貴女三穂津命が現われ、尊の船を無事に毛呂の長浜に導いた(延宝三年=一六七五、『大宮司堀立亀松丸記』)。一、仲哀天皇が九州御征討のため、海路豊浦宮に行幸された。このとき、穴門の中ッ村毛呂の里に、霊光が終夜輝き渡るという不思議が報告された。天皇自ら潔斎ののち、この霊光をお祀りされた。この神が三穂津姫命で、守り屋の神と称したのが本社の本元である(元文二年=一七三七、『大宮司浜田出羽守長元記』)。一、『孝徳天皇本紀』に、「白雉元年二月、長浜毛呂里より白雉を獲り献上した」ので、天皇は守屋の宮に特便を送り礼拝をした。これが礼拝山の名の起源とするもの(寛元二年=一二四四=寅二月、『領地三郎源康頼記』)。一、北条実政による戦勝祝賀のための奉納舞踊に、「チュウニ」(徒士)、「ゴッポウナ」(護方女)、「ドヒョウシ」(度拍子、または土拍子)などの舞装束や楽器が伝えられたとするもの(『永禄の年代』)(旧県社)。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
例祭(十月十五日)、祈年祭(二月第三日曜日)、春祭(四月十五日)、新嘗祭(十一月二十三日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】のぶちゃん
【
最終
更新日時】2017/09/29 07:35:59
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