埼玉県比企郡小川町飯田870 高勝山恵覚院長福寺の写真1
 3.0

高勝山恵覚院長福寺


埼玉県比企郡小川町飯田870

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thonglor17さん
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thonglor17さん
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基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 埼玉県比企郡小川町飯田870
五畿八道
令制国
東海道 武蔵
アクセス 東武東上本線東武竹沢 徒歩18分
御朱印授与時間
電話番号 0493732266
FAX番号 0493732266
公式サイトURL
御本尊 阿弥陀如来
宗派 天台宗
創建・建立
由来 新編武藏風土記稿
比企郡飯田村
長福寺 天台宗男衾郡塚田村普光寺ノ末 高勝山惠覺院ト號ス 始ハ院號ヲ呼名トセシ由傳フレト其改メシ年代ハシラス 慶安二年彌陀堂領トシテ十石ノ御朱印ヲ賜フ 寺傳ニ當寺ハ養老元年四月ノ草創ニシテ開山ハ永辨ナリトイヘト コノ僧治安元年四月廿四日ノ示寂ナレハ養老ヲ下ルコト凡三百年ニ餘レリ 恐クハ傳ヘノ訛アルヘシ 其後遙ノ星霜ヲ經テ長保二年八月回祿ノ災ニ罹リ堂宇以下烏有トナリシカハ 草庵ヲ結ヒテ纔ニ法統ヲ繼ケリト云 長保ハ治安ヨリ二十年前ノコトナレハ 是モ寺傳ノ杜撰ナルコト知ヘシ 又云後村上院御宇康安元年ノ頃長尾四郞高勝ナル者當寺第十三世ノ僧榮範ト力ヲ合セテ再造シ 舊觀ニ復セリ 高勝ノ法謚ヲ長福院了德禪定門ト號ス 其墳墓ハ今村ノ東ニアリ 由テ山ヲ高勝ト唱ヘ寺ヲ長福ト號スト 榮範ハ康安元年十二月廿日寂ヲ示セリ 是ヲ中興ノ開祖トス 本尊ハ三尊ノ彌陀ニシテ行基ノ作レル所ナリ
石船權現社 昔ノ神體ハ船ノ形ヲナセル一尺五寸許ノ石ナリ 旱魃ノ時ハコノ神體ヲ社前ノ御手洗ヘヒタシテ雨ヲ祈レハ必驗ハリシカ 何ノ頃カ失ヒテ今ハ幣束ノミヲ置リ 藥師堂


境内掲示板
長福寺
  所在地 比企郡小川町大字飯田
 長福寺は、天台宗の寺で養老元年(七一七)全国を巡錫中の行基が、荒涼とした当地の開発を目的に開山したと伝えられ、本尊は阿弥陀如来である。
 その後、数度の災火に遭遇し荒廃していたが、康安元年(一三六一)長尾四郎高勝が時の住職栄範法印と力を合わせて再興したといわれ、現在に至っている。
 本堂の上手竹林の中にある宝篋印塔は、元は寺の東方の天神山に建立されていたものであるが、昭和四十年代にここに安置したものである。作風から想定すると、室町時代の供養塔と思われる。
 慶安二年(一六四九)徳川家光公より、阿弥陀堂領として高十石の御朱印を受け、徳川幕府代々の朱印状が保存されている。
 昭和五十九年三月
  埼玉県
  小川町


総本山
高勝山恵覚院長福寺
開山 養老元年(717) 四月 行基開山
総本山 比叡山延暦寺(京都市と滋賀県にまたがる日本仏教の母山)
祖師 高祖(中国) 天台大師 智顗禅師(538~597年)
   宗祖(日本) 伝教大師 最澄上人(766~822年)
宗旨 天台宗(天台法華円宗)
 中国の天台智者大師智顗禅師が、『法華経』を中心として中国天台宗をお開きになられました。その後、伝教大師最澄上人が遣唐使船で中国へ留学して仏教の真髄である天台の教えを学んでこられ、延暦二十五年(806年)に、日本天台宗をお開きになられました。
 天台宗は、法華経に基づく一乗の教え(「すべての人が仏に成れる」と説く『法華経』の中心となる教え)を根本としています。天台教学を中心に、密教・禅法・戒法・念仏などを実践の法門としています。
教義
 この世の様々な事柄は、すべて移りゆく仮の相(すがた)ですが、それはそのまま仏の命の姿でもあります。私達はみな仏の子として、すべての人に仏と同じ仏性(ぶっしょう・仏となる種)が備わっています。悟りに至る種は生まれながらにして私たちの心に植付けられているのです。ですから、あとはこのことに気付き、その種をどのように育てるかということが大切です。
 法華経に述べられている一乗真実の教説(仏の真実の教えは絶対平等であり、全ての人が成仏できるという教え。彼岸に至る唯一無二の乗り物となる教え)を根本として、この理(ことわり)に目覚めて仏の道にいそしみ、励むように説き導くのが、天台宗の教えです。
経典
 『法華経(妙法蓮華経)』を中心経典としています。 天台宗は、「朝題日に夕念仏」と俗に言われており、朝の勤行では「法華経(南無妙法蓮華経)」を、夕の勤行には浄土経(=阿弥陀経・南無阿弥陀仏)を読んでいます。法華経の諸法実相(すべてのものは、みな仏そのもののあらわれである)の立場に立って、すべての大乗経典を敬い、読誦します。
長福寺の御本尊
 長福寺のご本尊様は「阿弥陀如来」様で、三尊形式でお祀りしてあります。中央に本尊の阿弥陀如来様、右に観世音菩薩様、左に勢至菩薩様です。阿弥陀如来様は「無限の光や寿命をもつもの」という意味のお名前で、無量光仏、無量寿仏とも呼ばれています。 西方にある極楽という仏国土(極楽浄土)の中心の仏様です。観音菩薩様は「慈悲」を、 勢至菩薩様は「智慧」を司っています。
長福寺の縁起
 養老元年(717) 四月、関東を巡錫された行基菩薩(奈良時代の僧で、後に東大寺の大仏造立に活躍し、朝廷から菩薩の称号を賜る)が、 当地の荒涼とした土地と、生活に困窮している住民の様子に心を痛められ、仏堂を建立したのが長福寺の創建とされています。その後、三度の火災に遭うなどの法難を乗り越えて来ました。特に、室町時代には住職の栄範法印が関東上杉一族の武将長尾四郎高勝の庇護を受けて中興に力を尽くしました。その名前から山号「高勝山」を、寺号は高勝の戒名に基づき「長福寺」と呼称されるようになりました。ちなみに院号の「恵覚院」は草創期の行基菩薩を偲んで命名されたものです。江戸時代の慶安二年(1649)には、徳川家光公より高拾石の御朱印地を賜り、その後も代々の将軍より朱印状が発状されました。平成の時代に入り、武蔵国十三仏霊場の阿弥陀如来の寺として第十番札所になりました。また、檀信徒やNPO団体の協力を得ながら里山保全活動や欅五百本植樹等の事業にも取り組んでおります。2017年には開山1300年日、現在の本堂(1846年再建)は172年目となります。
【平成二十四年七月 第五十五世住職 岩本教裕 記】

武蔵十三佛霊場専用御朱印による説明
長福寺の沿革
 養老元年(七一七)行基菩薩の草創と伝えられており、現住職は五十四世で、歴代住職補任の年月日が明記された古文書が保存されている。
 長保二年(一〇〇〇)火災の難にて堂塔ことごとく消失、荒廃。建久三年(一一九二)鎌倉右大将軍より寺領として田畑三町余の御閣納により細々と法灯を護持。
 康安元年(一三六一)関東上杉一族の長尾四郎高勝が第二十五世栄範と協力して再興をはかり中興。
 延徳二年(一四八九)近隣からの飛火で二度目の消失。僧・檀信徒力を合せて復興、法灯を継承。高勝山恵覚院と号す。
 慶安二年(一六四九)京都毘沙門堂門跡の推薦で徳川家光公より寺領十石を賜わる。朱印状九通は寺宝として保存されている。弘化元年(一八四四)再度の火災、二年後復興し現在に至っている。
神社・お寺情報 武蔵国十三仏・第10番札所(阿弥陀如来)

境内碑
記念碑 本堂屋根葺替向拝増築環境整備工事
本堂・庫裡建設の趣意・経緯
 長福寺の本堂は、養老元年建立。現在迄に三回の火災に遭遇。その都度住職と檀徒力を合せて法灯を護持すべく尽力し再建。弘化三年に現本堂前庫裡を檀徒の寄進と寺領材を利用して建築。
 当初は茅葺屋根であったが、明治十年瓦葺に改修。その後大正三年・同十年・昭和五十年に補修を施す。百四十数年間の風雨に耐えた本堂。御本尊様を安置し、各家のご先祖を回向する信仰の中心道場も老朽化が目立ち、茲に住職檀徒相談じて大補修を発起し、信心が実り完成。
一、庫裡新築 平成二年発願。平成三年七月完成。 当地裏山一帯を中心にプリムローズカントリー倶楽部が地域開発事業に着手。地元助成の一環として寺へ弐千五百萬円を寄付。同金額を基金とし寺山の杉・桧材等を一部伐採活用し、総工費参千六百萬円にて完成。工事は檀徒中の職人・棟梁が力を結集し建設。当時の檀徒総代長故吉野章氏の功績多大であった。
一、本堂屋根 平成四年に発願。平成五年四月完成。檀徒一同が大施主となり浄財を寄進。寺山の一部をゴルフ場に売却したものとを合算、建設資金に充当。総工費四千萬円で完成。
 工事は檀信徒の棟梁一同が持てる知識・技術を発揮、屋根部分を一新。設計も社寺寺建築にし、向拜を新設。瓦は全部新調葺替、特に鬼瓦は当地の名工の手作り。鬼面に堂宇安全と防災の祈りを込めて設置。以後永年本堂の保護を考えて環境整備・参道 駐車場等の付帯工事を行う。
 御本尊様の〇〇、ご先祖様の冥祐や、総代世話人の労力奉仕、檀徒の誠の心が実り魔事無く円成した事に感謝の心を捧ぐ。仏恩報謝と法灯護持を祈り、ここに記念の碑を建立する。合掌
  第五十四代住職 沙門 岩本教明
 平成五年五月吉日建之
例祭日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】thonglor17
【 最終 更新日時】2024/03/10 21:03:21
 
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