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基本情報
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住所 |
埼玉県本庄市児玉町小平597 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR八高線児玉 徒歩37分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0495722685 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御本尊 |
不動明王 |
宗派 |
真言宗豊山派 |
創建・建立 |
応永六年(1399)中興 |
由来 |
[ 成身院 ]
所在地 児玉郡児玉町大字小平
当寺は、真言宗豊山派の寺で平等山成身院といい、本尊は不動明王で、児玉三十三霊場第一番になっている。
この寺の起りは、南北朝時代以前と伝えられているが、第四代関東管領職として関東、東北の諸豪族を従えた足利持氏が、応永六年(1399)高僧元昭大和尚を当寺に招いて中興開基したものといわれている。
近世に至るまで檀家制はとらず、北武蔵四箇本寺の一つとして上・武二州にわたって末寺一二二か寺を総管する御朱印寺であった。また、僧侶育成の専門道場(檀林所)として経営され、豊山十八世能化秀慶や百体観音堂を建立した元映上人をはじめ、多くの名僧を輩出した。
大正八年の火災で本堂を失い、現在のものは昭和四十九年に再建したものである。
昭和五十八年三月
― 境内案内板「埼玉県」より ―
[ 百体観音堂 ]
所在地 児玉郡児玉町大字小平
百体観音堂は、生物のすべての鎮魂の塔で、高さは約二〇メートルある。外観は二層となっているが、内部は三層で回廊をめぐらし、一階に秩父三十四観音、二階に坂東三十三観音、三階に西国三十三観音、合せて百観音をまつっている。階段を順次登ると、中央本尊である白衣観音を三めぐりし、仏を礼拝する作法として、最もていねいな礼をすることができるように造られている。回廊を螺旋状に登るところから「さざえ堂」とも呼ばれている。
百体観音堂建立の起因となったのは、天明三年(1783)浅間山の大噴火であって、この時溶岩が山麓の村をひとのみにし、吾妻川、利根川流域沿岸三十数か村の人馬等を埋めた。焼死、溺死する者数知れず、川辺に近づくとうめき声が聞こえ、ただおびえるのみで、誰一人弔う者がいなかったという。これを知るや成身院第七十一世元映上人は、利根の川原に壇を築いて修僧を集め、七日七夜法華経一万部を読誦して死者の冥福を祈った。さらに上人は、永代にわたって供養するため慰霊堂建立を思いたち、近郷に呼びかける一方、自ら江戸に上って辻々で寄付の呼びかけを行ったところ、上人の悲願は、多くの人々の協力によって実り、ここの百体観音堂が建立されたものである。この時の観音堂は、明治二十年に火災にあって焼失し、現在のお堂は明治四十四年に再建されたものである。
昭和五十八年三月
― 境内案内板「児玉町」より ―
児玉町指定文化財
[ 百体観音堂 ] 昭和四十年三月一日指定
この堂は、寛政の頃当山住職元映上人の開創で、建立の由来は、天明三年(1873年)浅間山大爆発の折、多数の人命が失われたため、万霊供養のため建立したもので、現在の建物は、明治四十三年(1910年)に再建されたものである。
堂は通称「さざえ堂」と呼ばれ、三層二階建ての極めて珍しい建物で、秩父・坂東・西国の霊場の観音様が合計百軀奉祠してあるので、百体観音の名がある。
平成七年九月
― 境内案内板「児玉町教育委員会」より ー |
神社・お寺情報 |
三大さざえ堂
テレ東−アド街で紹介(2020.11.21放送)
境内碑
百觀音剏主元映師墓志銘
平等山成身院者在武州那賀郡小平邨爲北武四箇本寺其七十一葉院主
乃 師也 師諱元映姓飯嶋同州秩父郡藤倉人也盖其先爲畠山重忠之
孫云天明癸卯七月七日信之淺間山焚震動雷激熱□暴騰𤓬石流于三百
里内沙土雨於五百里外刀烏二川人民流死者其麗不億 師為造壇於川
上集僧徒誦讀法華萬部又赴於東都券縁積日鋳作百圓通之銅像削成南
陵宏閣落慶安置百像又招僧侶為開龕以吊二川溺死之靈其功德不亦大
乎宿志既遂遂罹微恙而逝矣實文化元年甲子六月十四日也年六十有四
葬于南陵燈道先螢之側 師爲児志在佛□及長博沙於内外典終身麤衣
䊯食其意唯在済衆而已矣不然則豈能如斯哉因録其事於石銘曰
乾轟坤震川溢山焚石泥焦熱溺死蒸民□彼南陵松柏甡甡斯斲斯斷層樓
嶙峋百像赫爍以雪幽冤口碑傳語永世曷隕重謀不朽緇素留神
天保十一年庚子束于夏六月
遺弟元泰謹撰現住龍心潤色
同州 枽原灑書并篆額
茲碑版者爲百体觀音堂再建百周年記念復元建立也
平成二十二年十一月吉日
平等山宝金剛寺成身院
新編武蔵風土記稿
那賀郡小平村
成身院 新義眞言宗京都御室仁和寺ノ末ナリ平等山金剛寺ト號セリ寺領十石ハ寬永十九年九月二十四日御朱印ヲ賜ハレリ開基ハ鐮倉管領左兵衞督持氏ニテ法謚ヲ長春院殿陽山機土禪定門ト稱ス應永十一年二月卒ス開山元昭和尙應永元年三月十三日寂ス然レトモ當時四十二世覺桑ノ時元和三年二月類燒シテ舊記古文書等ミナ烏有トナレリ天正十九年賜ハリシ御朱印ヲモ火失セシテモテ地頭安藤彥四郞願上テ寬永年中改テ御朱印ヲ賜ヘリト云本尊不動ヲ安ス
祖師堂
三佛堂 釋迦藥師彌陀ノ三佛ヲ中央ニ安置シ其傍ニ百觀音ヲ安ス堂宇ノ壯嚴ナルコトハ近鄕ニマレナリ七十一世元映ノ時建立スト云年代詳ナラス
八社權現社 當寺ノ鎭守ナリ 鐘樓 正德二年再建ノ鐘ヲカク |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
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更新情報 |
【
最終
更新者】zx14r
【
最終
更新日時】2024/03/17 10:55:04
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