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基本情報
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| 住所 |
埼玉県本庄市中央2-8-26 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
JR高崎線本庄 徒歩8分 |
| 御朱印授与時間 |
|
| 電話番号 |
0495222807 |
| FAX番号 |
0495226280 |
| 公式サイトURL |
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| 御本尊 |
|
| 宗派 |
臨済宗妙心寺派 |
| 創建・建立 |
|
| 由来 |
境内掲示板
開善寺
所在地 本庄市中央二ノ八ノ二十六
開善寺は、山号を畳秀山と称し、天正十九年(一五九一)本庄城主小笠原信嶺が開基し、球山宗温和尚の開山で、本尊は聖観世音菩薩である。
和尚は、城主信嶺の夫人久旺院尼の兄にあたる人で、武田信玄の弟武田逍遥軒の子で、仏門に入り甲斐国永岳寺にあったが、信嶺に招かれ当寺を開山した。
その後、三世桃嶽祖源の代慶安二年(一六四九)徳川家光より朱印地十五石が下されている。
当寺に伝わる開善寺境内地図は、その当時の境内古地図である。西は旧伊勢崎通りから、東南は愛宕神社まで含まれており、その面積は、現在の約五倍ほどであった。
なお、当寺には、本庄市指定の文化財である小笠原信嶺夫妻の墓、朱印状を収めた御朱印箱、開善寺境内地図、武田信玄公画像などがある。
昭和六十一年三月
埼玉県
本庄市
境内碑
開善寺書院建設記念碑
当山は聖観音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院である。
開基は新羅三郎源義光二十二世後裔小笠原掃部大夫信嶺である。天正十八年(一五九〇)徳川家康の命により信州下伊那郡松尾城主から本庄城主となる。当地は起伏に富み、緑陰豊かにして水清く菩提寺を営むにふさわしい地形から、旧領松尾の現長野県飯田市の小笠原家菩提寺開善寺にちなみ一寺を建立し、畳秀山開善寺(山疊秀色人開善気、という中国の古詩に由来するといわれる。)と号した。翌天正十九年(一五九一)甲州(山梨県)余村から武田信玄の弟逍遥軒の子で、徳川三代将軍家光の乳母春日局を叔母にもつ球山宗温和尚を拝請して開山とした。以来それが起縁となって徳川家光の帰依を受け、境内石高十五石に対し朱印状を賜り、以後歴代将軍家の朱印を拝領した。
ことに当山七世南州和尚は朝廷より勅使号を贈られ、寺運盛んにして香積界豊温し、禅会もしばしば催され禅堂も新築され礼法筵いよいよ盛となった。しかし、宝氷六年(一七〇九)十二月災火に罹り堂宇悉く灰燼に帰し、翌宝永七年八世即印和尚再建を志し、享保三年(一七一八)竣工した。その後寺運盛衰の歴史を経て明治を迎える。
明治五年(一八七二)八月学制義務化の公布をみ、本庄宿も翌六年六月二十五日小学校を開善寺に開校した。以後明治二十年四月高等小学校設立、明治二十五年新校舍に移転するまで教育の場として、開善寺の大ぐず屋根の伽藍は子供たちを育んできた。故に当山は本庄市近代教育発祥の地として、市史に永くその名をとどめることになった。
その後堂宇も頽廃したが、明治三十三年十八世伊寿和尚本堂、庫裡を改築した。
続いて十九世高崖和尚、二十世絕崖和尚三代にわたる崇佛護寺への精進と、檀信徒の御先祖菩提供養の信仰とが相まって、畳秀山開善寺の寺運も再び高まりそのたたずまいもいち段と風情を添え、み佛のみ堂にふさわしい趣を呈してきた。
昭和四十六年の本堂の新築や、近くは山門寺標の建立、境内を囲ぐる白壁の塀、続いて大願の喜院建設等々開善寺檀信徒の菩提心のふるさととして、また、臨済宗妙心寺派寺院として、世紀のあしたを担うにたる寺容を整えるに至る。
このたび待望の書院建設を期に、疊秀山開善寺法燈のもとに多くの縁者が参集し、当山堂字をもって永代にわたり菩提心の修養の場とされますよう、また、併せて書院建設に当って物心両面の御喜捨を賜った檀信徒をはじめ多くの方々に心からお礼を申し上げ、書院建設の大願成就の喜びを記念碑設置によって永く世にとどめる次第である。
飯野利衛起草
昭和六十二年秋彼岸 開善寺書院建設役員一同
工事概要
書院 構造 木造二階建て
床面積一階 一三九・九五平方米
二階 八三・六四平方米
庭 書院入口門 塀 記念石碑
着工 昭和六十年三月一日
竣工 昭和六十一年一月三十一日 |
| 神社・お寺情報 |
武州本庄七福神・布袋尊
境内掲示板
開善寺の文化財
埼玉県指定文化財
絹本着色清拙正澄画像
清拙正澄は渡来僧で、小笠原氏に招かれて信州松尾の開善寺を開いた。本庄城主小笠原信嶺も菩提寺開善寺を本庄に開くにあたって正澄画像を求めたものと思われる。南北朝期の作品。
本庄市指定文化財
小笠原信嶺夫妻の墓
本庄城主。徳川家康の関東入国後の天正18年9月に、壱万石で本庄城主となった。信嶺は本庄に開善寺を開き、没後同寺に葬られた。左側の宝篋印塔が信嶺の墓。なお、跡を継いだ信之の代に古河転封となって、以降本庄城は廃城となった。寺の南側墓地に所在。
本庄市指定文化財
小笠原信之の墓
本庄城主。徳川家康の重臣酒井忠次の三男。天正16年(1588)に信嶺の娘を娶り養継嗣となって小笠原氏を継ぐ。慶長17年(1612)に下総国古河城へ転封となり、慶長19年に同地で死去。本庄の開善寺に葬られた。
平成29年3月 本庄市教育委員会
境内掲示板
本庄市指定史蹟 小笠原掃部太夫信嶺公夫妻の墓
公は徳川氏の家臣で、もと信州松尾城主、天正十八年(一五九〇年)豊臣氏の関東攻めにより、本庄氏滅亡の後当城を賜わり、同年九月入城し本庄領一万石を領した。慶長三年(一五九八年)二月十九日、五十二才にして逝去した。法名徹抄道也大居士、なお公の墓石宝篋印塔は古墳上に築かれている。
昭和三十三年三月二十八日
本庄市教育委員会 |
| 例祭日 |
|
| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/11/29 15:22:03
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