みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
東京都墨田区両国4-34-11 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス |
都営大江戸線両国 徒歩2分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
|
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ) |
創建・建立 |
|
旧社格 |
|
由来 |
本所に居住する武士の稽古のための馬場に大きな榛の木があり、その馬場を榛の木馬場といった。その傍に稲荷社があり榛の木稲荷といった。本所道役清水八郎拝領の町屋敷内に借住居していた白川殿下神職梅本大和という者が社守をしていたことが『本所村史』に記されている。大正十二年の大震災に社殿および榛の木は焼失したが、社宝類は類焼をまぬかれた。
(東京都神社名鑑より) |
神社・お寺情報 |
この辺りには、江戸時代に武士が馬術を訓練するための馬場が設けられていました。東西約185m、南北約22mの広さがあり、馬場を囲む土手に大きな榛があったので、「榛馬場」と呼ばれました。馬場に祀られていたのが「榛稲荷神社」です。
本所(現在の墨田区南部)に生まれた絵師葛飾北斎は、この稲荷神社のすぐ近くに住んでいたことがありました。北斎は90歳で没するまで常に新しい技法を試み、「富嶽三十六景」に代表される錦絵だけではなく、肉筆画も手がけ、数多くの作品を生み出しました。
榛馬場の辺りに住んでいた当時の様子を伝えるのが、「北斎仮宅写生」(露木為一筆)です。絵を描く老いた北斎と娘の阿栄が描かれています。阿栄も優れた絵師でした。その暮らしぶりを飯島虚心は、「蜜柑箱を少しく高く釘づけになして、中には、日蓮の像を安置せり。火鉢の傍には、佐倉炭の俵、土産物の桜餅の龍、鮓の竹の皮など、散ちらし、物置と掃溜と、一様なるが如し」(「葛飾北斎伝」)と記しています。北斎がこの地に暮らしたのは天保末年頃(1840年頃)で、80歳を越えていたと思われますが、絵を描くこと以外は気にも留めないような暮らしぶりが見てとれます。
北斎は生涯で90回以上も転居を繰り返したとされていますが、居所のすべてが正確にわかっているわけではありません。榛馬場の北斎住居跡は、ある程度場所の特定ができ、絵画資料も伴うものとして貴重な例です。
また、幕末明治期に活躍した政治家勝海舟もこの近くで生まれ育ちました。海舟の父、勝小吉の自伝「夢酔独言」の中にも、榛稲荷神社についての思い出が記されています。
(墨田区教育委員会掲示より) |
例祭日 |
|
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2020/10/19 11:56:39
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。