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基本情報
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住所 |
島根県浜田市殿町 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
JR山陰本線浜田 徒歩16分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
火之迦具土神(ヒノカグツチ) |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
当社の御祭神は「火之迦具土神(ヒノカグツチ)」で古来 火伏の神として信仰厚く、元牛市町(旧黒川村)東詰に御鎮座になっていたが、明治5年 城山に姫栖神社趾であった現在地に御社殿を造営し、浜田藩の守護神として亀山城内に奉斎してあった稲荷神社・雁木神社・讃樹(岐)神社・厳島神社・柿木神社・姫栖神神社等を合祀してあります。
この新社殿は多数の御寄進者の奉納によって昭和42年春に竣工したものであります。 |
神社・お寺情報 |
「浜田城」歴史の散歩道 第2部その5 浜田城と柿本人麻呂 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は、飛鳥時代の歌人で三十六歌仙の一人として、後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられています。この柿本人麻呂の終焉の地が浜田であるという説が古くから伝えられてきました。なぜ浜田が終焉の地と言われてきたのか、浜田城と柿本人麻呂の残した歌からひもといてみたいと思います。 浜田城は、元和5年(1619)に伊勢国(三重県)松坂から国替となった古田重治(初代浜田藩主)によって、元和6年(1620)から築城されました。築城にあたり、亀の縁起にちなんで「鴨山」を亀山と改名したと言われ、浜田城は「亀山城」とも呼ばれています。また、城地にあたって、神社はそのまま祀られ、幕末には稲荷社、厳島社、雁木(かりき)社等が城内に鎮座していました。 これらの神社の中で、柿本人麻呂と関連するのが雁木社です。資料によると、太鼓堂の下に雁木大明神という祠があり、人麻呂の祠とも山伏の塚とも伝えられていることや、「石州浜田城」という城図に、太鼓堂の下に「人丸」と記載されていることなどから、古くから雁木社に人麻呂が祀られていたと考えられています。現在、この雁木社は、秋葉神社に合祀されています。 また、柿本人麻呂辞世の一首(掲載1)や、妻の依羅娘子が、人麻呂の死に際して詠んだ二首(掲載2)の歌にも、鴨山、石川(「石見軍記」に浜田川が石川と記載されている)の名が詠まれており、このことからも、浜田と人麻呂とのつながりが指摘されています。 ただし、現在、石見でも柿本人麻呂終焉の地とする諸説があり、考証が進められていますが、歴史的には定かではなく、伝説の域を出るものではないと考えられています。
※浜田市ホームページより抜粋 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】じゃすてぃ
【
最終
更新日時】2018/09/21 19:39:51
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