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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県久喜市上清久68 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
東武伊勢崎線鷲宮 徒歩30分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
別雷命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
雷電神社
祭神 別雷命―気象と五穀を護る神
神社起源、由来
言い伝えによればその昔、行基菩薩が、この地に自作の十一面観音像を祀ったのが始まりとされる神仏習合の神社といわれる。その後、八幡太郎源義家が、奥州征伐の途中戦勝を祈願し、奧州を平定した義家は、戦のお礼に源氏の白幡を奉納したという。
雨乞、雷除、虫封じ、子孫繁栄の祈祷神社と知られ「光明電王宮・白幡権現社」と称し、地元近隣はもとより、遠方の人々からも大いに信仰された。明治初年の神仏分離令により、雷電神社と隣の常德院に分離された。 義家白幡奉納伝說や地名が白幡であることから、地元や近隣の人々から白幡さま白幡神社と呼ばれた。(十一面観音像は常德院に祀られている)
昭和二十年代頃までは、社寺の三方は田んぼと沼(白幡沼)に囲まれ、神社は小高い台地の杜のなかに鎮座していた。周囲は開発され今は昔日の面影はない。
最後の雨乞
大正十三年夏、日本全国は大干ばつにみまわれ、この地方も深刻な被害があり七月十九日から一週間の雨乞が行われ、満願の二十五日雷鳴とともに恵みの雨が降り農作物は甦り豊作となったと云われている。 (徳富蘇峰揮毫記念碑あり)
清久氏館跡
吾妻鏡によれば、鎌倉初期の武将清久次郎秀行が、久喜地方一帯を治めこの地に館を構えたとされている。館の遺構等は発掘出土されていないが、 清久氏一族を弔った供養塔が常徳院に伝わっている。館は清久城、 白幡城と呼ばれた。
白幡城と赤幡城
むかし、沼に囲まれた白幡城の対岸に赤幡城があり、ある時戦いがおこり白幡側が不利になった時、突然大蛇が現われ、赤幡側の舟と兵を攻撃し白幡側が勝利したと言う。(旧久喜市の唯一の民話)
境內地末社
浅間神社、厳島神社、弁財天社
当神社には旧久喜市最古の石造物が三つ あります。詳細は裏側をご覧ください。
平成三十年三月氏子中
裏面
~旧久喜市最古の石造物~
燈籠 正德5年 1715年
手洗石 正德6年 1716年
石組井戶 天保3年 1832年
新編武藏風土記稿
埼玉郡上淸久村
白幡權現社 白幡光明雷王大權現ト號ス 古ヘ足利高興白幡ヲ納メシヨリカク號セシ由ヲイヘト高興ノ名聞クコトナシ 傳ヘノ訛リシナラン 祭神ハ雷電神本地十一面觀音ノ立橡ニテ丈七寸餘 行基菩薩ノ作 常德院ノ持
什物 雷槌一本 龍ノ牙一 石一 弘法大師雨乞ノ石ト云 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/10/09 07:18:47
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