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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県久喜市本町1-9-65 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
JR宇都宮線久喜 徒歩15分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
天手力雄命 誉田別尊 加具土の神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
千勝神社 御由緒
久喜市本町六丁目 - 六九三 - 五
□御縁起(歴史)
当社は二代目古河公方足利政氏の勧請と伝える。
室町時代を開いた足利尊氏は関東を治めるため、鎌倉に関東公方を設置した。しかし、六代目関東公方足利公方成氏は、幕府と争いとなり鎌倉の関東管領と関東の支配を二分した。成氏は康正元年(一四五五)に下総古河を御座所としたことから古河公方と呼ばれた。
その子政氏は、明応六年(一四九七)に公方を継いだが、子の高基との確執から争いとなり、ついに実権を失った。そこで政氏は永正十四年(一五一七)に領地であった当地に館を築き隠棲した。当社は館の正面に延びる当時の馬場と思われる約二〇〇メートルのまっすぐな道の先に祀られた。また、館の裏鬼門の位置には、八幡神社が祀られた。
ちなみに当社は、「近津」と書く社名の社と同じく、福島県東白川郡に鎮座する奥州一宮の都都古別神社(旧称近津宮)を本宮とする。この社は南奥州から北関東にかけて中世に活躍した結城氏の勢力圏に広く分布し、県内では、中世に太田庄と呼ばれた地域(南埼玉郡の北部一帯、 北埼玉郡の大部分と大里郡の一部)だけに散見する。
江戶期は館(後の臨済宗永安山甘棠院)に隣接する真言宗薬王院光明寺が別当を務めていた。
明治四十二年、字道合の愛宕神社と境内社の天神社、字馬場の八幡神社と境内社の稲荷社と熊野神社、当社境内社の三島神社を合祀した。
境内掲示板2
村社 千勝神社
一、祭神 天手力雄命誉田別尊加具土の神
一、由緒 不詳明治六年三月村社申立済同四十二年同字道合無格社愛宕神社。字馬場無格社八幡神社合祀す。
一、社殿 本殿 拝殿 社務所
一、平成十一年五月移転竣工
一、境内神社 三嶋神社祭神事代主命社殿石碑
稲荷神社宇迦御魂の神社殿石碑
天神社祭神菅原道真社殿石碑
同神社は古河公方足利成氏享徳年間当社を崇敬しつづいて其の子政氏又深く信仰し久喜に館社を築き馬場に源氏の氏神陣屋を築いた米津出羽の守も共に信仰した。
享徳年間室町時代建立五百三十二年前
一月一日 元旦祭
六月二十九日 春の大祭
十月十九日 例祭
十二月二十五日 大祓尚七五三及び前の日曜日も開扉
境内碑
當千勝神社は久喜市本町一丁目千二百番地に 鎮座ましませしが、都市計画道路西停車場線の新設に伴い神社境内地の大部分が県道新設用地の対象となり平成十一年五月當地久喜市本町六丁目六百九拾三番地の五に移転となる。
平成十一年五月吉日
宮司 中村国彦
総代 酒井恒一 太田利男 小森重雄 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
・元旦祭 ・春の大祭(六月二十九日)
・例祭(十月十九日) ・大祓(十二月二十五日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2021/05/09 17:37:15
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