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基本情報
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住所 |
埼玉県深谷市岡2006-2 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
JR高崎線岡部 徒歩12分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
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神社・お寺情報 |
境内掲示板
深谷市指定文化財 お手長山古墳
種別 史跡
指定年月日 昭和五四年四月一日
お手長山古墳は、深谷市岡に所在する。所在地の標高は、約五四メートルであり、櫛挽台地北西部にあたる。古墳の頂部には、天手長男神社が鎮座し、古墳名称の由来ともなっている。現存する墳丘は、長軸四三・五メートル、短軸二二・五メートル、高さ三・五メートルを測る。
後の時代の耕作等により原形は失われているが、昭和五〇年の本庄高校考古学部による墳丘測量調査、昭和六三年及び平成二年の岡部町教育委員会(当時)による発掘調査等により、古墳築造当時の姿が判明した。
調査結果によれば、古墳の規模・墳形は、後円部径三七メートル、前方部長一二・五メートル、全長四九・五メートルの帆立貝式古墳である。主軸方位はN-一一六度-Eを示す。周溝からは、土師器・須恵器等が検出されたが、古墳の時期を示す明確な遺物は少ない。ただし、古墳周辺に散乱する石室の石材(角閃石安山岩)が六世紀後半以降、頻繁に使用されるものであること、周溝内より埴輪が検出されず、当地域の古墳に埴輪が樹立されなくなる時期が六世紀末頃であること等の理由から六世紀末を前後する年代が想定される。
当古墳の北西には四十塚古墳群があり、古墳群中には、横矧板鋲留短甲・五鈴付鏡板などが出土した四十塚古墳(五世紀末)、当地域最大級の前方後円墳(全長五一メートル)である寅稲荷塚古墳が存在する。
お手長山古墳は、これらの古墳と同様に、櫛挽台地北西部を代表する首長墓と言う事ができる。このような有力古墳の集中地帯に、七世紀後半以後は、中宿・熊野遺跡をはじめとする律令期の重要遺跡群が分布することから、古代榛沢群衙(群役所)は、古墳時代首長層の伝統的勢力基盤を継承した形で成立すると考えられる
深谷市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2024/04/07 15:34:19
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