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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県入間郡越生町鹿下256 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
JR八高線明覚 徒歩22分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
大山祇神、大雷神、高龗神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内碑
越生神社再建記念碑 埼玉県神社庁長 横田茂拝書
越生神社の由来
当越生神社は元は根本神社と称し その起源は古く今から千二百年前の
天平年間(第四十五代聖武天皇・七二九~七四八)にさかのぼり 時の高
僧行基菩薩が東國遊行の時越生法恩寺を創立 さらにその時学寮を当地に
選びその守護神として大山祇神、大雷神、高龗神を勧請して神事を行った
のがそもそものはじまりと伝えられております その後兵乱の為衰頽して
いたが 応永年間(第百一代称光天皇・一三九四~一四二七)の御代越生
左衛門尉光忠が再興し越えて延徳元年(第百三代後土御門天皇・一四八九)
鹿下幸傳が再営したと口碑に伝えられている 後 寛文八年(第百十二代
霊元天皇・一六六八)の御代 当地の代官深谷喜右門が社地を寄付し再修
致しました その後明治五年社格制定により村社に列せられた 明治三十
七年八月官有地一反二畝七歩を神社境内地として払い下げ 明治四十年一
月同字宿にありました日枝神社を合殿 合祀し社号根本神社を越生神社と
改称した 尚 祭神大山祇神は山の神で 大雷神は雨の神であり 高龗
社は龍の古字で祭神は龍神で水の神として尊敬され稲穀の豊作を願う庶民
的信仰に発しているように思われる なお 根本神社とは山の根方の祠に
ある神社という意味と思われます 大山咋尊は 大歳神素淺鳴尊の子で日
枝山王社の祭神で穀物の神です 日枝神社は 天台宗比叡山延暦寺守護神
として祭祀されたのがその起こりとも言われております
また 口碑に日枝神社よりも根本神社のほうが古いのでこちらに合祭に
なったという 昭和三十四年には同敷地内にありました末社愛宕大神 鬼
神大神を合祀しております
越生神社再建について
再興してより三百八十年という歴史あるこの神社が昭和六十年二月十九
日雪の降る午後四時三十分放火と見られる火災により焼失してしまいまし
た 伝統ある越生神社の由来を思うときこの災難を乗り越え一日も早く
再建を実現することこそ私達の責務と痛感し同年四月再建委員会を結成
建設に取り組む事と致しました しかし 神社の建設には多額の資金が必
要であり 何の準備もなく仕事に取り組む無謀さを思うと再建の前途も誠
に多難と申す外はありませんでした が 氏子並びに関係各位のご支援
ご協力で裏面に刻名した通りの ご寄付と工事の日程によりましてここに
完成することが出来ました 境内の周囲は 緑濃く清閑な自然環境に恵ま
れ すぐ下の沼は学頭沼といい 豊かな水は四季折々の景観を映しており
ます 前方は広く開けて当地区を一望に納め 誠に風光明媚な境内でござ
います この敷地を一大造成して 玉石積で高台に広い平坦地を造り 石
段にて参道を延長 拝殿の位置を焼失前より二十米後方に建築し 伝統あ
る神社にふさわしい風格ある千木小狭木舞を特徴とした神明造りの構造と
致しました 斯くの如く自然と調和のとれた神威にふさわしい壮厳な神
社が完成し永遠に私達の守護神としてこれからの世代に引継がれて行く事
でしょう これら工事の過程をご理解戴くためこの記念碑を建立致しました
昭和六十三年十二月吉日 撰文岩鼻照雄
書 福田 明 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2021/01/21 18:12:56
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