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★★★ 参拝日:2023年4月2日 13:15
★★★★★ 参拝日:2021年2月7日 00:00
延命蕎麦喰地蔵が有ります。
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※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 東京都練馬区練馬4-25-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 西武豊島線豊島園 徒歩1分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0339910310 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://kuhonin.com/ |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 浄土宗 |
創建・建立 | 1599(慶長4)年 |
由来 | 徳川家康の命令で小田原から移転してきた田嶋山快楽院誓願寺の塔中として神田須田町に開創。 開山は本蓮社正誉上人秀覚大和尚、開基は塙直安道閑入道。 塙直安は、関ヶ原の合戦で徳川方について活躍した武将でしたが、晩年は江戸に住んで小児科医になる。その子孫も江戸城内の医師として歴代の将軍に仕え、代々の葬地は九品院であった。 本坊誓願寺は当初神田白銀町にあったが、幕府の市街地整備や明暦の大火等の為に、神田須田町→浅草へと移転を繰り返した。九品院も誓願寺と共に同じ道を歩んだ。 誓願寺の各塔中は有力な外護を持っていた。九品院は菓子御用達の井上家の宿坊となっていたが、他に播磨屋新右衛門からもひとかたならぬ外護を受けていた。播磨屋は両替商として財をなし、明治の金融恐慌を迎えるまで銀行業を行った豪商である。 明治維新を迎えると、神仏判然令の公布それに伴って起こった廃仏棄釈運動などの試練に遇い、各塔中は独自に存続の道を切り開かざるを得なくなる。そして、1923(大正12)年の関東大震災を契機として、本坊であった誓願寺とも袂を分かち、260年以上の月日を過ごした浅草の地を後にし、練馬の現在地に他の十ヶ寺と共に移転。 2016(平成28)年、本堂客殿庫裏新築工事が落慶。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】けんぢ 【 最終 更新日時】2023/04/09 19:52:20 |