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参拝日:2021年1月31日 00:00
直書き ポストカード名前入り
★★★★ 参拝日:2021年1月31日 00:00
★★★★★ 参拝日:2018年7月15日 00:00
宝物殿で色々説明をしてくれました。 又テレビ局の取材もしていました。 御朱印は宝物殿で書いていただけます。
★★★★ 参拝日:2018年2月11日 00:00
仁王門は寺から少し離れています。 自分は滝団地口バス停で降りて歩いて仁王門、滝山寺と行きました。帰りは滝山寺下バス停からです。
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まだ蝉が鳴いていますね。
(🫠ちゅんさん) 日付:2022年9月18日 20:07 |
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住所 | 愛知県岡崎市滝町字山籠107 |
五畿八道 令制国 |
東海道 三河 |
アクセス | 愛知環状鉄道線北岡崎 徒歩50分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0564-46-2296 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://takisanji.net/ |
御本尊 | 薬師如来 |
宗派 | 天台宗 |
創建・建立 | 天武天皇時代(673年~686年) |
由来 | 吉祥陀羅尼山薬樹王院と号し、本尊は薬師如来。瀧山寺縁起によれば、朱鳥元年(686年)奈良時代の伝説的な山岳修行者、小角(おづぬ)が青木川の滝壺から薬師如来を拾い上げ、安置するために「吉祥寺」という一堂を建てたのに始まると言われる。
小角は自ら薬師如来像を彫刻し、その仏身に金色の薬師如来を納め御堂に安置しました。 やがて400年の月日が流れ、保安年間(1120〜24年)、比叡山で修行した仏泉上人永救(ぶっせんしょうにんえいぐ)が、仏法興隆のためこの地に来住。荒廃してしまっていた吉祥寺跡に再び霊場を建て、物部氏の外護により本堂を造営しました。 上人を慕って弟子入りするものは跡を絶たず、境内には360もの寺院が建立され、そのころに官府の命によって寺名を「瀧山寺」と改めました。 その後、物部氏に替わり熱田大宮司家が大壇那となり、熱田大宮司季範夫妻の孫、寛伝上人に話は移っていきます。 源頼朝の従兄弟にあたる寛伝上人は瀧山寺僧侶となり、縁故から頼朝公の厚い信仰を得ました。頼朝公没後には、菩提のため正治三年(1201年)頼朝公の3回忌にあたるこの年に惣持禅院を創建。本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩・梵天・帝釈天の三尊像を仏師、運慶・湛慶父子が造立しました。 その後は承久の乱後に三河守護足利氏が壇越となり最盛期を迎えます。 その後、貞応ニ年(1223年)には足利義氏が本堂立替を援助し、泰氏・頼氏・家時・貞氏の歴代も所領や仏具を寄進、瀧山寺は足利氏の準菩提寺となっていきました。また、室町時代には三代将軍義満の援助により本堂が造営されたが、戦乱によって次第に寺盛は衰退していきます... そのさらに400年後の江戸時代。瀧山寺は再び中興を見せます。比叡山天海僧正の命により住職となって入寺した亮盛上人は三代将軍家光公に見いだされ、寛永十八年(1641年)家光公より朱印地を拝領する。正保三年(1646年)には、家康公誕生の地の守護である瀧山寺隣地に東照宮が設立されました。 この江戸時代には「青龍院・玉泉院・常心院・浄蓮院・観量院・密厳院」の六坊があったが、明治初期に廃され、現在浄蓮院のみが瀧山寺本坊として残っています。 時は流れ明治六年(1874年)には神仏分離により滝山東照宮は独立し、現在も別法人となっている。 平成二十四年(2012年)には、国定重要文化財に指定されている三門の落慶法要が執り行われました |
神社・お寺情報 | 【滝山寺鬼まつり】
節分の夜には「鬼は外!」と豆を投げつけ、邪鬼を祓うのが慣わしです。つまり、私たちは「鬼は追い払うもの」という概念を持っています。 しかし、瀧山寺に登場する鬼たちは、逆に邪鬼を祓う役目を負っています。瀧山寺の鬼たちを見ると、鉞・撞木・鏡餅といった依代や太陽を意味する道具類を手にしており、邪鬼を祓う鬼神であることが理解できます。 鬼まつりは、旧暦元旦から七日間、本堂で天下太平・五穀豊穣を祈る修正会(しゅしょうえ)が行われ、その最終日の結願の日夕刻に催されます。 運慶作と伝えられる祖父面・祖母面・孫面をつけた鬼が、燃え盛る炎の中から鏡餅を持って登場し、天下泰平・五穀豊穣を約束するといわれている。 鬼面を被る者は七日間、斎戒沐浴して別室で起居します。女との接触は禁止され、四足動物の肉を口にしないなどの戒律があり、炊事なども男の手によってなされます。。 国重要文化財である瀧山寺本堂に巨大な松明を30数本を持ち込み、半鐘・双盤・太鼓を乱打し、ほら貝が吹き鳴らされる中で鬼が乱舞する様は圧巻で、観ている観客が延焼の心配をしてしまうほど勇壮な祭りとなっています。その後、観衆は堂内に上がり、消された松明を縁起物として持ち帰ります。 この祭りの起源は、源頼朝の祈願により始められたと伝えられるが、室町末期に廃絶、その後徳川三代目将軍家光が東照宮を境内に建立し、以後幕府の行事として復活。明治初期に一時中断されたが明治二十一年に再度復活し現在に至ります。 また、鬼面はもとは父面・母面もあったが、二人の旅僧が斎戒沐浴せずに父面・母面をつけて祭りを行い、面がついて離れず息絶えてしまった。この二人を薬師堂の前に葬り鬼塚として供養したため父面・母面は残っていないといわれています。 毎年の鬼祭りには五穀を炒ったものを塚の上に撒き「春秋の芽の生うる時出で来たれ」という。この撒き散らした五穀を子供のオコリの妙薬として持ち帰る風習があります。 重要文化財 ・山門 ・本堂 ・聖観音・梵天・帝釈天像 |
例祭日 | 2月3日以前の日曜日:節分 旧正月7日に近い土曜日:鬼まつり 7月第2日曜日:施餓鬼会 11月第1日曜日:奥の院御祥当法要 12月第4日曜日:天台会 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】あきちゃん 【 最終 更新日時】2021/05/09 11:26:35 |