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参拝日:2023年6月27日 00:00
★★★★★ 参拝日:2020年11月28日 11:25
参拝日:2018年8月23日 00:00
★★★ 参拝日:2018年8月14日 16:40
札所:法然上人二十五霊跡・第16番 京都洛西観音霊場・第7番 西山国師遺跡霊場・第13番
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住所 | 京都府長岡京市粟生西条の内26-1 |
五畿八道 令制国 |
畿内 山城 |
アクセス | 阪急京都本線長岡天神 徒歩27分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 075-955-0002 |
FAX番号 | 075-953-2264 |
公式サイトURL | https://komyo-ji.or.jp/ |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 西山浄土宗 |
創建・建立 | 建久9年(1198年) |
由来 | 西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷にあります。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地であります。
法然上人が24歳の時、奈良へ学匠となるべき師を求めて叡山を降りられたとき、この粟生野の里、当時村役の高橋茂右衛門宅に一夜の宿をお借りになりました。その時、茂右衛門夫婦は、上人の真剣な求法のお気持ちと、広く大衆が救われる道を求めての旅である事を聞き、「まことの教えを見いだされましたならば、先ず最初に私共にその尊いみ教えをお説き下さいませ」とお願いいたしました。 時は流れ承安五年(1175年)3月、ついに浄土宗を開かれた上人は20年間のお約束の通り、この粟生野の地で初めて念仏の法門を説かれたのです。 文治元年(1185年)に、かの源平の戦いで有名な熊谷蓮生(れんせい)法師(熊谷次郎直実)が戦いの明け暮れから、積もる罪業を償い極楽往生の道を求めて法然上人を訪ねました。 「どんなに罪は深くとも、念仏さえ一心に申せば必ず救われる」との、あまりにも有り難いみ教えに歓喜し、直ちにお弟子となり剃髪しました。法力房蓮生と名付けられ、数年のご修行の後、喧噪の吉水を離れ、静かに念仏を称えられる地を求めて、建久九年(1198年)に、上人ゆかりの地、粟生広谷に寺を建て、法然上人を勧請して入佛落慶法要を営み、開山第一世と仰ぎ、自らは二世となり、上人からは「念仏三昧院」の寺号を頂きました。これが光明寺の発祥です。 第三世幸阿上人の時、建暦二年(1212年)正月25日、法然上人がお亡くなりになりました。晩年は奈良、叡山の古い教団から迫害を受け、滅後の嘉禄三年(1227年)には叡山の衆徒が大谷の墳墓を暴いてご遺骸を鴨川に流そうと企てたので、上人の遺弟達は秘かにご遺骸の石棺を嵯峨に移し、更に太秦の西光寺に移しました。翌安貞二年正月20日の夜、上人の棺より数条の光明が放たれ、南西の粟生野を照らすと言う奇瑞が現れましたので、同月25日ご遺骸をこの粟生野の地で荼毘に付し寺の裏山にご芳骨を納め御廟堂を建てました。この時の奇瑞にちなんでこれ以後念仏三昧院は光明寺と称される事になりました。 |
神社・お寺情報 | 別称:粟生光明寺
もみじ寺 札所:法然上人二十五霊跡・第16番 京都洛西観音霊場・第7番 西山国師遺跡霊場・第13番 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 鍋島花杏葉 久我竜胆 |
更新情報 | 【
最終
更新者】よっしぃ 【 最終 更新日時】2023/06/28 19:01:24 |