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基本情報
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住所 |
高知県高知市洞ケ島町5-3 |
五畿八道 令制国 |
南海道 土佐 |
アクセス |
JR土讃線入明 徒歩3分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0888721535 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
木造阿弥陀如来坐像(国の重要文化財) |
宗派 |
真言宗豊山派 |
創建・建立 |
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由来 |
延喜年間(901年-923年)、菅原道真の長子である菅原高視が配流先の土佐国潮江で菅原道真逝去の知らせを受け、筑紫にある道真の菩提寺の安楽寺にちなんで、当地に安楽寺と潮江天満宮とを建立したという。寺は当初の潮江から升形を経て久万に移転した(潮江、升形、久万はいずれも現・高知市内)。その後、12坊を有する大寺院となったが応仁の乱(1467年-1477年)の兵火を受けて焼失し衰退。天正18年(1590年)の金剛福寺文書に「久万安楽寺」とあり、当時は久万に寺があったことがわかる。その後一時廃絶するが、江戸時代になって寛文年間(1661年-1673年)[1]に弘法寺(現・高知市三谷の三谷寺)の栄俊大徳により再興され、このとき院号を金性院と改めた。明治時代初頭の廃仏毀釈の影響でついに廃寺となったが、明治8年(1875年)[2]に常宝により、長宗我部氏の菩提寺であった旧瑞応院跡に再興された。[3]
再興したあとしばらくは、同じく廃寺になった四国八十八箇所第30番札所 善楽寺のかわりに第30番札所になり、善楽寺が再興されたあとは1993年まで双方がどちらも札所になっていた。1994年1月1日からは善楽寺を第30番札所、当寺を第30番札所奥の院と定め、第30番札所が2箇所存在する問題が解消された。 |
神社・お寺情報 |
四国八十八箇所第30番札所奥の院 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】松
【
最終
更新日時】2019/07/27 12:54:06
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