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基本情報
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住所 |
埼玉県川口市西立野1110 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
埼玉高速鉄道戸塚安行 徒歩14分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-296-0643 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
素盞嗚命、櫛稲田姫命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
二宮神社 御由緒
川口市西立野一一一〇
□御縁起(歴史)
当社は、元来は氷川神社と称し、立野村の鎮守として祀られてきたが、明治四十年五月二十九日に長蔵新田の鎮守であった稲荷社を合祀したことを機に、同四十二年十月三十日をもって二宮神社と改称したものである。地元で当社のことを「氷川様」と呼ぶ人が多いのはそのためで、合祀当時、氷川神社も稲荷社も共に社格は村社としたいため、こうした措置が取られたものと思われる。なお、この合祀は、村社にふさわしい神社へ規模を拡大する目的で行われたとの説もあり、合祀と同時に社務所が新設されたのもその企図に沿うものであったらしい。
江戶時代においては、当社の祭祀は別当の光明院が行っていた。光明院は本山派修験であり、当社の真東に位置していたが、幕末に住持の不始末が原因で廃寺となった。その後、光明院の子孫は「竜王」と名乗って加持祈祷を続けた。当社の参道入口の近くにある高山家はその末裔で、屋号を「光明院」という。
一方、光明院の廃寺後は、安行領家の大塚家が祀職を務めた後、明治の中ごろに戶塚の豊田初太郎が社掌となり、大正時代に中山富士雄がその後を継ぎ、昭和四十七年からは豊田功が宮司となった。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
・元旦祭(一月一日) ・祈年祭(二月十一日) ・例祭(十月十五日) ・新嘗祭(十一月二十三日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2023/04/29 19:10:30
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