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基本情報
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住所 |
埼玉県川口市芝6299 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR京浜東北線蕨 徒歩17分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-284-3838氷川神社 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
大鷦鷯命(仁徳天皇) |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
氷室神社ご由緒
氷室神社の創建は古く、村民の口伝えによれば、遠く建武の時代以前(およそ七百年前)にさかのぼります。天正十九年(西暦一五九一年)徳川家康公によって朱印地大朙神領として米五石を寄進されたとあります。
ご祭神は大鷦鷯尊(オオササギノミコト)で、第十六代仁徳天皇(にんとくてんのう)であります。天皇は応神天皇の皇子で、日本書紀によれば幼くして聡明叡知、天皇になられてからは仁寛慈恵のお方であります。
仁徳天皇の御製に
高どのに 上りてみれば 天の下 四方に烟りて 国ぞ富みぬる
とありますように、天皇は日々、浪速の高津の宮の高台にのぼり、家々から朝餉や夕餉の煙の立たないのを見て、民の貧窮を察し租税や賦役を免除するなど仁政をおしきになられたお方であります。
明治期の記録(神社明細張)によれば、境内の面積は千七百四十坪、社殿は本殿と拝殿そして神楽殿もあり、境内には、御嶽社、天神社、稲荷社、三峯神社、従殿宮社が祀られておりました。末社として十度明神社があります。
現在の社殿は一間社流造で、例祭は毎年十月十五日であります。往時はご祭礼の幟が氏子によって立てられ、奉納芝居や出店がでたりして、誠ににぎやかで、この近辺の厚き崇拝をうけていた神社であります。
平成九年十二月吉日
氏子会
境内掲示板
氷室神社 御由緒
川口市芝六二九九
□御縁起(歴史)
芝は中世の芝郷の中心地で、地内には建武二年(一三三五)の年紀を刻む銅鏡を所蔵する羽盡神社や、貞治三年(一三六四)に足利基氏の祈願所として創建された臨済宗長徳寺がある。当社はこの長徳寺の地続きにある高台の風光明媚な地に鎮まり、すぐ東側には旧別当の天台宗氷室山真光寺がある。
氷室の社名の意はその字の通り、氷を所蔵しておく室で、『日本書紀』仁徳天皇六十二年の条に、額田大中彦皇子が、闘鶏野に狩りをして氷室を見つけ、その氷を天皇に献じたことから、毎年冬に氷を貯え、春分が過ぎると氷を分けることが行われるようになったと記されている。この記事にかかわる氷室は奈良県天理市福住町の氷室神社の後方にある室山で、『延喜式』にはこのほかに畿内に九か所の氷室が記されている。なぜ遠く東国の地に氷室の神が祀られたのかは明らかでないが、滋賀県大津市の天台宗の総本山である延暦寺の近くにも氷室があったことから、同じ天台宗の真光寺により彼の地から勧請されたとも考えられる。また、『風土記稿』には「氷室社 社領五石は天正十九年(一五九一)御朱印を賜ふ」と記されることから、あるいは将軍家にでも献上の氷を一時期保管する室がこの辺りにあったとも思われるが、いずれも推測の域を出ない。祭神は大鷦鷯命(仁徳天皇)である。
境内の十度明神社は文蔵村から洪水により流れ着いたと伝える。 |
神社・お寺情報 |
水盤 元禄六癸酉歳三月吉日奉納御寶前壽量院住禅○置之(1693)
新編武蔵風土記稿
足立郡芝村
氷室社 社領五石ハ天正十九年御朱印ヲ賜フ
末社 十度明神社 此社モト文藏寺ニアリシカ洪水ノトキ爰ニ流レ來リシト云十度ト稱スルハ古ヨリ洪水ノ爲ニ十度漂流セシ故ナリトイヘト覺束ナシ思フニコハ重殿ノ社ナルヲ誤リニ十度ト唱ヘソレヨリカヽル說ヲナセシモ知ヘカラス 八幡社 天神ヲ合祀セリ
別當 眞光寺 天臺宗中尾村吉祥寺末氷室山地藏院ト號ス本尊彌陀ヲ安ス 地藏堂 |
例祭日 |
・春祭り(四月十五日) ・例祭(十月十五日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2023/05/05 21:06:03
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