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基本情報
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住所 |
埼玉県上尾市川2-3-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線上尾 徒歩15分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-725-2069(八枝神社) |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
大日霊貴命 |
創建・建立 |
寛永2年(1625年) |
旧社格 |
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由来 |
『風土記稿』によれば、当地はもと今泉・向山・壱町目の各村と共に大谷村と称していたという。寛永二年(一六二五)九月に「河村」一五〇石が旗本柴田筑後守に宛行われていることから、江戸初期には既に一村になっていたことがわかる。 当社の創建については伝わっていないが、隣村の向山の鎮守である神明社ではその縁起の中に、宝永五年(一七〇八)上総国から柴田氏陣屋跡に降った真鍮の御幣を祀った旨が記されており、当社の創建とのかかわりをうかがわせる。 当社は、元来は現在の境内から南西におよそ一、五〇〇メートルの所に祀られていた。その辺りは村の中でも低地で、一度大雨ともなれば、一面水浸しとなってしまい、氏子の悩みの種であった。そこで、昭和四十七年に現在の地に移転し、社殿・鳥居・社務所を新築することとなった。今の境内は、もともとは江戸期における当社の別当十福寺の跡地で、この寺は神明山地蔵院と号し、今泉村の浄土宗十連寺の末寺であった。大正九年に火災で全焼し、その後は本寺の十連寺に合併され、境内も同寺の所有となっていた。氏子たちは、この土地を十連寺から買収して、当社を移転し、悲願を達成したのである。この経緯を後世に伝えるため『神明神社造営記念碑』を建立した。なお、当社の旧境内地は市に売却し、現在は市民体育館の敷地の一部となっている。(境内ご由緒より) |
神社・お寺情報 |
【境内社】 愛宕社、厳島社、庚申塔(青面金剛) |
例祭日 |
10月20日 |
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】ロビン
【
最終
更新日時】2024/01/06 17:37:46
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