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★★★★★ 参拝日:2019年4月6日 12:00
社務所の呼び鈴を押して宮司さんを呼んだ。丁寧に対応して頂いた。
★★★ 参拝日:2014年9月28日 16:07
【授与所】 お守りやお札あり 駐車場あり
★★★★ 参拝日:2024年4月6日 11:50
参拝日:2023年12月9日 00:00
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住所 | 埼玉県秩父郡皆野町皆野238 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 秩父本線皆野 徒歩6分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0494-62-0524 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://minanomuku.com/ |
御祭神 | 猿田彦命(さるたひこのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと) 八意思兼命(やごころおもいかねのみこと) |
創建・建立 | 景行天皇41年(西暦111年) |
旧社格 | 村社 |
由来 | 【頒布】御由緒 皆野椋神社
本社創立は人皇12代景行天皇41年 皇子日本武尊東国巡見の砌、甲斐国酒折宮より北転し武蔵、上野の国に至り給ふ。 国造り経営の各地を巡見せられ秩父の山中に入る。 而して当時原野に出づる事を望み給ひ御矛を立て国造の祖八意思兼命を遙拝し秩父の山並を望み給ふ時、御矛忽ち光を放ちその光飛来して当地原野西隅の森に止まる。 尊怪しみてその地に至り給うや該森林の椋樹の下に老翁現れて曰く、吾尊嚮導しその行路を護らんと茲に、尊その御名を問い給ふに、翁対へて吾は「猿田彦」なりと云って、お姿を隠し給ふ故に、此の地に神籬を立て猿田彦命、大己貴命、八意思兼命の三神を鎮め祭りて椋神社と称す。 延喜式神名帳に記されている秩父二座の内その一に載せられ貞観13年(871年)従五位上を授けられたる由緒正しき旧社にして神威最も験著である。 当社はもと椋宮(倉の宮)明神と称して、元慶5年辛丑(881年)真言法孫源仁僧都、平量山円福寺建て空海上人の手法に習ひ深く当社を崇拝し広く神仏習合の法莚を布く、爾来当社の神勤は同寺の世襲するところとなり明治政府の神仏分離令に至るものなり。 又秩父の庄司武光、武重別当重能は当地に館を構え厚く尊信せると、その後重能は瘴を感じて当地に没す。 平将平、重能の墓は円福寺に在り武光、武重の墓も同所にあると云うも詳にらず。 然るに国乱れ戦国の世となり戈干止む時なく当社も為に衰退を極む。 時に鉢形北條の家臣用土新左門正光、当地方東端に竜ヶ谷山田野城を築き甲斐武田に備ふ。 永禄12年(1569年)武田信玄秩父に侵入するに及び新左衛門当社に戦勝を祈願し大いに武田勢を破る。 今もこの地を戦場と呼び地名として残る。 新左衛門当社の信仰弥々厚く社の破損甚だしきを憂い本殿の修復祭祀を復活、この折獅子舞を奉納して神慮を慰めまつりしを以って当社獅子舞の起こりである。 爾来徳川の世となり領主阿部松平に至るも先規となり例祭に使臣の上覧あり。 当時の獅子頭3個あり社宝として現存する。 境内碑 猿田彦本宮永代御祈禱御神符拝受記念碑 椋神社の主祭神猿田彦命は貞観十三年従五位上に叙せられ 延喜式神名帳に秩父郡二座とあるうちの一社と伝えられる 椋神社は郡下に同名社五社をかぞえ明治政府はいずれも式内 社と称することを許したという その中で平将平・平重能の 墓がある円福寺が鎮守として崇敬し 付近に古墳の多いこと などからわが椋宮が本社であるとの説もある 当社の草創をたずねれば景行天皇四十一年皇子日本武尊が 東国御巡見の折この地に至り猿田彦命のお導きによっての御 創祀と伝えられる 新篇武藏風土記稿に「村ノ鎮守」と載せ られ小作地を持ち氏子から社地参道寄進のあったことからも 崇敬の深さが知られ元禄年間以前より舞われている獅子舞を 始め神代神楽の奉納が今なお盛んなことにもあらわれている 爾来氏子一同熱心な奉仕を続けて昭和六十二年十月十九日 伊勢本宮参拝を果たし 永代御祈禱御神符拝受を畏み 今年 あたかも平成の御大礼を奉祝しこの由緒を誌し後世に伝える |
神社・お寺情報 | 延喜式内社(椋神社は延喜式に記載される秩父郡内に2社のうちの1社で、同名の神社は当社を含め郡内に5社ある)
埼玉県指定無形民俗文化財 皆野椋神社の獅子舞 昭和五四年三月二四日指定 明治一五年の大火で記録類が焼失し、詳しい縁起はわかりませんが、児玉町小平の石神神社獅子舞の起源に、「元禄十二年皆野に伝わる獅子頭が小平に分けられ......」と伝えられています。これが皆野椋神社獅子舞に関する、最も古い記録です。 獅子頭は塗獅子で、狛犬型、龍頭型とがあり、髪は栗毛のたてがみで、大狂い、女獅子、小狂いの三頭を一組として四組一二頭あります。 演目は一八庭で、神前に子どもたちの舞うお神楽三拍子に始まり、ひきま、わせ、おく、弓掛り、まり掛り、みいれ、ひょうたんまわし、幣掛り、竿掛り、花掛り、お神楽ざさら、輪掛り、橋渡り、下妻、 宿割、天狗拍子で終わります。三頭の獅子の足が腰鼓にあわせてぴたりぴたりときまるのが特徴で、師匠ざさらといわれる「宿割」はその特色を最もよく表しています。 一日の行事の中ほど、中入りには二人立ちの大神楽獅子二頭が勇壮に舞い、道化たちがからみます。また、演目の最終には一二頭の獅子に、中立四人が加わり、一六人ざさらともいわれる天狗拍子が舞われます。 古くは上郷組、下郷組とに分れ、交代で九曲ずつを受持って演じていました。また、今は行われていませんが、椋神社と土京遙拝所の間のご神幸に供奉した道中または行列といわれた儀式は荘重なものでした。 実施期日 一〇月七日 土京遥拝所 一〇月八日 椋神社 平成三年三月三一日 埼玉県教育委員会 皆野町教育委員会 |
例祭日 | 10月8日 椋宮例大祭 |
神紋・寺紋 | 三つ組み合せ銀杏 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2021/07/25 10:21:37 |