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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県上里町勅使河原1368 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線神保原 徒歩17分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0270-65-2305 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
埴山姫命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
第62回伊勢神宮式年遷宮記念
丹生神社 御由緒
□御縁起(歴史)
上里町勅使河原一三六八
勅使河原は、武蔵七党の丹党に属した勅使河原氏の名字の地とされる。丹党系図によれば、丹党の祖とされる武信から七代目の子息直時が勅使河原氏を称しており、また、長野勅使河原系図にも、承保二年(一〇七五)四月二日に「卜地同国加美郡勅使河原邑移居、則以地名為家号」とあるところから、平安時代の末期には勅使河原氏がこの地に住していたことがわかる。当社は、この勅使河原の鎮守である。
当社の創建について、『明細帳』は「古老の口碑」として、応永年間(一三九四~一四二六) に神流川の辺に創立されたが、その後、出水で社地が流亡したため、永禄二年(一五五九)に現在の所に遷座したと伝える。一方、『児玉郡誌』も同様の話を載せているが、創立は大永年間(一五二一~二八)、遷座は永禄二年と、創建の年代が異なる。しかし『風土記稿』勅使河原村の項に「丹生社 村の鎮守なり、昔は神流川辺にありしが、川欠にて元禄年中(一六八八~一七〇四) 今の地へ移せり」と載り、当社にも元禄十六年(一七〇三)の年紀のある幣束が現存することから、遷座の時期は元禄年間と思われる。
明治に至り、神仏分離が行われるまで、当社の西隣にあった当山派修験の文殊院が別当として当社の祭祀を行ってきた。大正年間まで神職を務めていた下山家はその末裔で、現在は神社の祭祀と直接のかかわりはないが、今も神葬祭を続けている。 |
神社・お寺情報 |
御神燈 享和元酉年(1801)
境内碑
丹生神社は、今から凡そ六百年程前、応永年間(一三九四~一四二八)武蔵七党の丹党に属した勅使河原氏により神流川の流域に創建されました。その後、宝暦十二年(一七六二)洪水の為、御神霊がこの地に遷され、勅使河原地域の鎮守の神として今日まで代々崇められております。
御祭神は、罔象女神、高龗神、闇龗神、埴山姫命の四柱で、水と五穀を司る産土の神であり、本殿及び随神門の彫刻や天井絵又威儀物等からは、往時の様子をしのぶ事が出来ます。
しながら二五十年の歳月に耐えてきた社殿も近年頓に損傷が著しくなり、氏子総代の結集のもと先人達が永い年月うぃかけ神厳を護持してきた社殿の改修工事が進められ、平成二十四年春に無事竣功致しました。新築にあたり御賛同頂きました勅使河原地域の多くの皆様、関係者の方々への感謝の意を込め竣功記念碑を建立致します。
平成十五年三月吉日
宮司 梅林肇 |
例祭日 |
・春祭り(三月十五日) ・大祓(七月十三日) ・秋祭り(十月二十日) ・新嘗祭(十一月二十五日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2021/09/25 14:52:53
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