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基本情報
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住所 |
神奈川県川崎市多摩区菅北浦5ー4ー1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR南武線稲田堤 徒歩8分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
大国主命 ( おおくにぬしのみこと ) |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
当社の起源は定かではありませんが、当社は、鎌倉時代には小沢郷7ヵ村の総鎮守であったと伝えられ、江戸時代には管村の鎮守でした。『子之神社』の社名は、明治10年(1877)頃からのもので、それ以前は根ノ上社・根之神社などと記載さてれいました。 江戸時代の延宝7年(1679)、管村の領主である旗本の中根正致(なかねまさむね)が、当社を管轄する法泉寺に田畑を寄進して社殿を再興し、その後享保13年(1728)には、村民の佐保田与市(さほだよいち)らが願主となって、本殿と拝殿を造営しました。今の本殿は、この後に再建されたもので、その時期は、江戸時代の末期(19世紀の中頃)と推定されます。 本殿の造りは間口3.86尺の一間社流造、正面に千鳥破風、向拝に軒唐破風を付け、母屋の組物を三手先斗栱詰組(みてさきときょうつめぐみ)としています。総けやき・しらき仕上げの建物で、木鼻や正面の桟唐戸および脇障子をはじめ、四面の壁面、組物などの小壁、向拝柱や繋虹梁などが、しらきの彫物で飾られ、幕末期の特徴をよく示しています。 このように壁面および細部を彫物装飾で埋め尽くした建物の事例は、神奈川県下の社寺建築では数少なく、貴重な建造物といえます。彫物は、その精緻な彫り方からみて、江戸の名のある彫工の作と推定されます。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
1月9日祈年祭(きねんさい)[お的祭 (おまとまつり)]10月体育の日例大祭(れいたいさい)11月15日七五三祝(しちごさんいわい) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】氏青
【
最終
更新日時】2020/02/08 18:35:13
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