みんなの御朱印
|
|
(thonglor17さん)
 0
御朱印日:2025年11月1日 08:20
|
|
|
(かつちゃん2さん)
 52
御朱印日:2023年2月22日 00:00
|
|
|
(ZEROさん)
 15
御朱印日:2023年1月29日 00:00
|
|
|
(かっちゃんさん)
 45
御朱印日:2019年1月23日 00:00
|
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
みんなの参拝記録
|
|
(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★★
0
 1
参拝日:2025年11月1日 08:20
|
|
|
(かつちゃん2さん)
おすすめ度:
★★★
0
 87
参拝日:2023年2月22日 00:00
|
|
|
(かっちゃんさん)
おすすめ度:
0
 118
参拝日:2019年1月23日 00:00
|
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
埼玉県所沢市山口1410 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
西武狭山線下山口 徒歩3分 |
| 御朱印授与時間 |
|
| 電話番号 |
0429223636 |
| FAX番号 |
0429223636 |
| 公式サイトURL |
|
| 御本尊 |
|
| 宗派 |
臨済宗妙心寺派 |
| 創建・建立 |
|
| 由来 |
境内掲示板
勝光寺由緒
名稱 瑞幡山勝光寺
宗派 臨済宗(禅宗) 妙心寺派(京都市)
本尊 白衣觀世音菩薩
開山 石門和尚大禪師
中興開山 了庵宗禅師 速禪玄得襌師
開基 北條時宗公
沿革
抑々當山は弘安四辛己年鎌倉建長寺第一世石門和尚が開山せられ北条時宗公を開基として創建せられましたが元弘の乱に屢々兵馬の巷となり堂宇悉く灰燼となり其の後正平十一年慈眼庵次で慈光庵其の他諸堂宇が再建せられ、門風大いに賑いましたが、永正年間に再び回禄の災に遭い堂宇烏有に帰し頗る衰微するに至り天文十七年に不動尊を安置し信者を募り恢復を期すべく檀徒相計り寺門の復興につとめたが元亀三年時の住持が没し圓覚寺派の僧を住持として迎え自来圓覚寺派となり天正十九年に京都より慶叟和尚来山入寺し徳川家康公より寺領として境内地壹万坪御朱印貳拾石を下附せられ速禅和尚の時客殿及び山門等の諸堂宇共に再建せられ當山の門風大いに賑い太平の幕末の世まで続き今日に至った
建造物
客殿(本堂) 延寶五年(前三百年)
山門 元祿七年(前二百八十三年)
釈迦如来文殊菩薩普賢菩薩十六羅漢安置
鐘楼堂 享保十六年(前二百四十六年)
庫裡 昭和四十七年再建
寺宝 不動尊
相州大山住、若狭法眼賀竹三十二才の作
天文十七年二月(前四百二十九年)
阿夫利山の不動尊一木同作
所沢市指定文化財
山門 昭和四十四年指定
綸旨 勅謚 善光勝智禪師
勅謚 法源如実禪師 弐幅
昭和五十一年春建之
新編武藏風土記稿
入間郡堀之内村
勝光寺 瑞幡山ト號ス 臨濟宗京都妙心寺ノ末 昔ハ鐮倉建長寺ノ末ニ屬セシト云 開山僧石門寂年ヲ傳ヘス 中興ノ僧ヲ慶叟ト云 此時始テ今ノ本山ニ屬セシトナリ 又此慶叟カ時天正十九年ニ寺領二十石ノ御朱印ヲ賜ヘリ 其文ニハ地名ヲ日東高麗郡ト記セリ 寺傳ニ云昔此邊總テ高麗郡ノ內ナリシカ 今井九右衞門カ御代官所ノ時ヨリ當郡ヘ入リシトナリ サレト總說ニモノスル如ク 古クハ多磨郡ニ屬セシヨシ 傳ヘモアレハウケカヒカタシ 本尊白衣觀音
不動堂 此像ハ長四尺許 若狹法眼賀竹ト云者 天文十七年ニツクリシモノナリトイヘリ
樓門 樓上ニ鐘ヲカク 享保年中ニ鑄シヨシヲ刻セリ 釋迦文殊普賢及十六羅漢等ノ像ヲ安置セリ |
| 神社・お寺情報 |
狭山三十三観音・第4・5番札所
境内掲示板
所沢市指定文化財(建造物)
勝光寺本堂
勝光寺本堂は、「京都龍安寺の塔頭の方丈を延宝五年(一六七七年)に移築、行田の宮大工が建築した」との伝承をもちます。
現在、本堂は入母屋造の桟瓦葺ですが、この形式は昭和三十四年(一九五九年)に改められたもので、それ以前は、寄棟造の茅葺でした。平面構成は、ともに両側に脇間を備えた内陣、外陣からなる六間取り形式をとっており、外陣の南側には広縁が設けられています。また、意匠的特徴としては、内陣の全面に仏壇を設け、丸柱や組物を用いない簡素なつくりであり、外陣とその両脇の三室全体を一つ天井で覆い、天井が浮遊するように見える蟻壁を設けています。
このような建築形式や意匠や、江戸時代初期における京都の臨済宗系寺院の方丈建築の特色をよくあらわし、京都からの移築の可能性をうかがわせます。しかし、建物調査によると、柱間は京間の寸法基準とは異なり、江戸時代の関東間の寸法基準をとっています。また、製作時期が異なると思われるヒノキ柱とケヤキ柱が混在し、ヒノキ柱の多くに新しい材で継ぎ足した根継ぎが見られました。
以上の調査結果から推測すると、この建物は、京都で解体され運び込まれた前身建物の部材を用い、行田の宮大工が関東間として建築したものと考えられます。
関東地方では、稀な建築形式を受け継ぐ建造物として大変貴重です。
平成二十三年三月
所沢市教育委員会
境内掲示板
所沢市指定文化財(建造物)
勝光寺山門
指定 昭和四十四年六月二十七日
勝光寺は瑞幡山と号し、禅宗のひとつである臨済宗妙心寺派の寺院です。同じ宗派である野火止の平林寺(新座市)、上富の多福寺(三芳町)と同様に、美しい楼門建築の山門を有しています。
この山門は、「三間一戸楼門」という形式で、楼門建築としては最もよく見られる形です。 間口三間の中央が通行口となっており、両開きの板戸が内側に開閉します。楼上を見上げると、正面に棧唐戸という様式の扉があり、その上に山号を記した扁額が掲げられています。棧唐戸左右の窓は、上部中央を尖らせた花頭窓と呼ばれる形です。
また柱は、端を削った粽と称する太い円柱が石の礎盤に据えられています。柱には貫を多く通して、横の力に強いように設計されています。屋根は入母屋造の銅板葺ですが、かつては茅で葺かれていました。この山門は、元禄年間(一六八八~一七〇四年)の建立とされ、禅宗寺院の様式をよく伝える貴重な建物です。
勝光寺は、寺伝によれば創建が鎌倉時代に遡るとされますが、当時の事情を語る資料は残されていません。柳瀬川に沿った山口の谷に点々と残る古刹のひとつで、市内唯一の臨済宗寺院として知られています。
所沢市教育委員会
境内碑
梵鐘再鋳記念碑
山川草木みな佛ぞと告げわたる
この鐘の声シャカムニの声
昭和四十九年十月
圓覚管長 朝比奈宗源敬書
旧梵鐘転刻 武藏州入間郡山口郷瑞幡山勝光禪刹者插艸千茲五百餘年中興勑諡普光勝智禪師往敎善男女簨簴洪鐘以與其欽典而經歳久厥音啞矣於是禪師耕外坤公追繹前諸募諸有力亦復改鑄爾乃告成就予請銘弗獲拒辭走到笔云爾
于時 享保第十六歳在辛亥九月如意珠日 賜紫沙門松源衲大拙祖榮謹誌 山下恵風謹寫 |
| 例祭日 |
|
| 神紋・寺紋 |
未登録
|
| 更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/11/02 10:54:47
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。