みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
★★★★ 参拝日:2019年9月23日 12:15
今年も櫛まつりへいってまいりました。しかし、相変わらず縁切りの列はすごいですね。
★★★★ 参拝日:2019年4月8日 00:00
★★★★★ 参拝日:2018年9月24日 00:00
櫛まつりに行ってきました。こんなお祭りずっと続けばいいと思います。
★★★★ 参拝日:2025年2月10日 00:00
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 京都府京都市東山区下弁天町70 |
五畿八道 令制国 |
畿内 山城 |
アクセス | 京都市東西線京都市役所前 徒歩1分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 075-561-5127 |
FAX番号 | 075-532-2036 |
公式サイトURL | http://www.yasui-konpiragu.or.jp/ |
御祭神 | 崇徳天皇
大物主神 源頼政公 |
創建・建立 | 天智天皇年代(668年~671年年) |
旧社格 | 郷社 |
由来 | 第38代天智天皇の御代(668~671年)に藤原鎌足が一堂を創建し、紫色の藤を植え藤寺と号して、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことに始まります。
第75代崇徳天皇(在位1123~1141年)は特にこの藤を好まれ、久安2年(1146年)に堂塔を修造して、寵妃である阿波内侍(あわのないし)を住まわされました。 崇徳上皇が保元の乱(1156年)に敗れて讃岐(現、香川県)で崩御された時に、阿波内侍は上皇より賜った自筆の御尊影を寺中の観音堂にお祀りされました。 治承元年(1177年)、大円法師が御堂にお籠りされた時に、崇徳上皇がお姿を現わされ往時の盛況をお示しになられました。 このことは直ちに後白河法皇に奏上され、法皇のご命令により建立された光明院観勝寺が当宮の起こりといわれています。 光明院観勝寺は応仁の乱(1467~1477年)の兵火により荒廃しましたが、元禄8年(1695年)に太秦安井(京都市右京区)にあった蓮華光院が当地に移建され、その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神と、源頼政公を祀ったことから「安井の金比羅さん」の名で知られるようになりました。 明治維新の後、蓮華光院を廃して「安井神社」と改称し、更に「安井金比羅宮」と改め現在に至っています。 |
神社・お寺情報 | 縁切り縁結び碑
高さ1.5メートル、幅3メートルの絵馬の形をした巨石で、中央の亀裂を通して神様のお力が円形の穴に注がれています。 「形代(かたしろ)」(身代わりのおふだ)が貼られ、碑が見えないほどになっています。 御祈願の方法は、まずご本殿にご参拝下さい。次に「形代」に切りたい縁・結びたい縁などの願い事を書き、「形代」を持って願い事を念じながら碑の表から裏へ穴をくぐります。これでまず悪縁を切り、次に裏から表へくぐって良縁を結びます。そして最後に「形代」を碑に貼って下さい。 |
例祭日 | 10月10日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】Y.1966.S 【 最終 更新日時】2025/05/14 23:37:07 |