みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
埼玉県越谷市七左町5-186-2 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
東武伊勢崎線新越谷 徒歩16分 |
| 御朱印授与時間 |
|
| 電話番号 |
0489864271 |
| FAX番号 |
0489866579 |
| 公式サイトURL |
|
| 御本尊 |
|
| 宗派 |
本山修験宗 |
| 創建・建立 |
|
| 由来 |
境内掲示
三明院
市内でただ一つの本山修験宗祈祷寺院
【御本尊】大聖不動明王
【文化財・寺宝】光格天皇御連子盈仁親王御親筆の掛け軸
【寺院の季節・観光】ツツジ、八重桜、フジ、新緑、紅葉
【寺院解説】出羽不動尊三明院は、越谷市内でただ一つの本山修験宗祈祷寺院(山伏寺院)、総本山京都聖護院の直末である。本尊は成田山新勝寺の不動明王を遷し祀り、修験道の開祖役行者神変大菩薩を合祀している。
幕末の安政七年(一八六〇)三月、初代住職秀貞が開基、法務・修行に熱心で、その功
により大本山から「金襴地結袈裟免許状」と「黄色衣着用免許状」を与えられている。しかし、明治五年の神仏分離令によって修験道は廃止となり、廃寺や山伏・修験者の還俗が相次いだ。三明院も天台宗寺門派に組み込まれ、非常な苦境に陥った。
しかしながら二世住職秀定は前代に劣らず法務に励んだので講中や信徒も以前にも増 し、明治二十一年一月に、信徒や再建寄進者らの熱意によって完成したのが現在の三明 院である。
明治二十二年には、大本山から三通の文書が下付されている。「今般都合に依り、大本山出張所に相用い候事」とあり、重要視されていたことが分かる。
境内掲示
こしがや探訪寺院編
出羽不動尊三明院 【でわふどうそんさんみょういん]
越谷市七左町5-186-2
出羽不動尊三明院は、越谷市内でだだ一つという本山修験宗祈祷寺院(号 正本山明王寺)であり、大本山京都聖護院の直末であります。本尊は、成田山新勝寺の不動明王を遷し祀り、修験道の開祖役行者神変大菩薩を合祀しています。
安政7年(1860)3月開基されました。 初代住職秀貞は、法務、修行に熱心で三明院を創建しました。その功により慶応3年(1867)11月14日、大本山から「金襴地結袈裟免許状」と「黄色衣着用免許状」が与えられました。
明治5年(1872) 神仏分離令により、修験道は廃止となり、廃寺や山伏・修験者の還俗が相次ぎ、混乱しました。三明院も天台宗寺門に組み込まれました。 開基後、僅か12年のことでした。
その後、蜂入りの再開や蜂入り根拠寺院・由緒寺院の復興が進められました。 二世住職秀定は、前代に劣らず法務に励んだので、講中や信徒も以前よりも増えました。明治21年1月に、信徒や再建寄進者らの熱意により完成したのが現在の三明院であります。
明治22年には、大本山から3通の文書が下付され、その中に「今般都合により、大本山出張所に相用い候事」とあります (三明院資料より)。
三明院の天井画は越谷市在住の日本画家故星野雅秋さんを中心とし一般の方が描き、平成15年12月27日に奉納式が行われました。枚数にして56枚(星野さん21枚、一般35枚)約1年をかけて完成。天井画は本堂外側の礼拝部にあります。画題は「花」色鮮やかに描かれています。日本画の経験がない素人とは思えないほどの力作ばかりです。
是非一度足を運んでみてはいかがでしょうか。 |
| 神社・お寺情報 |
|
| 例祭日 |
|
| 神紋・寺紋 |
未登録
|
| 更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/12/13 19:04:34
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。