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★★★★★ 参拝日:2020年4月20日 13:20
宮司さんから、お祭りや八幡宮のご説明を丁寧にして頂きました。 是非、お参りしてみて下さい。
参拝日:2018年1月5日 00:00
参拝日:2024年1月6日 19:57
★★★★★ 参拝日:2023年8月17日 00:00
駐車場:あり 御朱印:社務所で頂くことができます。 その他:700年頃に建立された歴史のある神社です。こちらの神社では富田護国神社・回天神社・黒髪厳嶋神社の御朱印も頂くことができます。
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住所 | 山口県周南市宮の前一丁目9番10号 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 周防 |
アクセス | JR山陽本線新南陽 徒歩11分 |
御朱印授与時間 | 9:00~17:00 |
電話番号 | 0834-62-2410 |
FAX番号 | 0834-64-1299 |
公式サイトURL | http://yamasakihatiman.com/ |
御祭神 | 【主祭神】
応神天皇(おうじんてんのう) 【配祀神】 田心姫命(たごりひめのみこと) 湍津姫命(たぎつひめのみこと) 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと) 神功皇后(じんぐうこうごう) |
創建・建立 | 和銅2年8月(西暦709年9月) |
旧社格 | 県社 |
由来 | 【頒布-リーフレット】県指定民族文化財 本山神事
山崎八幡宮 由緒(旧県社) 往古周南市の富田河内の三室山に神霊が降臨され和銅2年(709)8月にこれを祀った。 その後宝亀元年(770)11月に現地に御鎮座され「江宮(エノミヤ)」と称した。 神仏習合の時代は真言宗の荘宮寺と一緒になり「荘寺八幡宮」と呼ばれた。 明治維新の神仏分離で、山崎八幡宮と改名された。 その間平安時代の大同元年(806)と江戸時代の宝暦7年(1757)に再度火災があり、社殿・宝物・古文書等は全て消失している。 現在の社殿は明治9年(1876)に再建されたものである。 明治4年(1871)に郷社となり昭和5年(1930)には県社に昇格された。 境内の亀の碑文(趺亀・フキ)には、古くは神社の前は海辺であった、虎の形をした洲があり、これを虎(トラ)の洲(ス)といった。 その西には文水(アヤノミズ)という霊水が湧き宝亀年間(770~781)天使がきてその水を酌(ク)み祭祀を行ったという歌がある。 「酌(ク)みて知る江宮(エノミヤ)浜の文水(アヤノミズ)清き流れの千代(チヨ)の行く末(ユクスエ)」とあり、鎌倉時代寛元年間(1243~1247)、再び天使が来て祭祀を行った、その時の歌は「周防なる江宮浜の虎の洲に藻(モ)を刈(カ)る海人(アマト)との袖(ソデ)やほすらむ」と詠まれている。 近世では大内義隆の家臣で周防の守護代陶弘護(スエヒロモリ)、戦国武将の陶隆房(スエタカフサ)(のちの晴賢・ハルタカ)は神前に扁額を寄進し戦勝を祈願している。 また毛利元就公ゆかりの石碑の中に「洞春公(元就)の安芸に起るや、使を遣わして以て祈る事しばしばなり、兵出て勝たざるはなし、十州を奄(エン)(領)有(ユウ)す、以て冥裕(メイユウ)(神仏のご加護)の使事する所となす」とあり毛利氏も篤く崇敬し、江戸時代には徳山藩の御祈願所として、歴代藩主が度々社参した。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 9月第4土曜日・日曜日 秋季例大祭(本山神事) |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】むらまさ 【 最終 更新日時】2023/08/18 23:15:53 |