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基本情報
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| 住所 |
埼玉県秩父市大滝944 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
秩父本線三峰口 徒歩47分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
0494-55-0723 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御祭神 |
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| 創建・建立 |
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| 旧社格 |
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| 由来 |
境内碑
木曽御嶽山開祖普寛霊神頌德碑
標高三千余米の霊山木曽御嶽山開祖普寛行者は 享保十六年当所本村信次郎の男と生れ幼名好八丸 父の薫陶と天台修験の関東總本山として名だたる三峯山に修行する山伏の真摯と敬虔を目のあたりしては先づ文武の道に志し その大いなる生涯を方向づけたのであった かくて心身共に健かな成長を遂げた好八丸は江戸に上り文武両道の達者となって明和八年郷里に帰り 三峯山観音院三世法印日照の弟子となって天台真言両宗の奥義を究め その名も本明院普寛と改めて安心立命の人生を得る霊験神秘の信仰を弘めつつ済世救のために一身を抛ち 霊山開闢のために力を致して難行苦行の末寛政四年六月 至難として顧られなかった木曾御嶽山を攀ぢ 見事に王滝口を開いたのであった 斯かればこそ後世開祖普寛霊神と讃仰される所以である その王滝口即行者の生地大滝の○○そのまま名づけられたと傳へられる かくて生涯の大偉業ここになり 再び全国の巡錫を志したが 中山道本庄宿に留って大往生を遂げた 時恰かも享和元年 齢長じて古稀といふ七十
降って明治の聖世に邂ふや 時の政府は大教正を追贈してその功業を讃へ 普寛尊師碑は大正十一年埼玉県史跡として文化財に指定された その生家は惜しくも昭和十九年烏有に帰したが 霊神百六十年祭を記念して御嶽普寛神社を興し 今回手水舎竣工を祝って 由緒碑の建立に至ったものである |
| 神社・お寺情報 |
境内掲示板
普寛行者(概論)
普寛行者。木曽御嶽山、越後八海山、上州武尊山、武州意和羅山などを開山・中興した木食行者。享保十六年(一七三一)武州秩父に生まれた。俗名、木村好八。はじめ江戸に出て仕官したが、明和元年(一七六六)三峰観音院に入り、普寛と名を変え本山派の修験者となった。天明二年(一七八二)から木食行を始め、諸国を遊行して数多くの霊山を開いた。まず三笠山(群馬県)と意和羅山(埼玉県)を開いた後、寛政四年(一七九二)木曽に来て御嶽に登頂、王滝口登山道を開いた。翌年にも御嶽に登山するとともに、江戸を中心にして修験者の霞支配の方法を取り入れた御嶽講の組織化をすすめた。寛政六年(一七九四)には夢告により弟子をつれて越後に赴き、地元の行者泰賢とともに八海山を中興開山、屏風道を開いた。八海山はこれ以後、御嶽行者が相次いで訪れ、この地方の新しい山岳霊場として脚光を浴びるようになった。普寛は翌年、武尊山(群馬県)をも開山し、享和元年(一八〇一)に武州本庄宿で没した。死後、普寛霊神と仰がれ、一般には御嶽の開祖、御嶽教の開祖と仰がれる。
修験道辞典 慶応大学教授 宮家 準編
平成十二年 一月元旦
宗教法人 御嶽普寛神社之建
監修 大滝村教育委員会 |
| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2026/05/23 15:34:21
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