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基本情報
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住所 |
埼玉県春日部市神間663 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス |
東武野田線藤の牛島 徒歩56分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-748-0463 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
倉稲魂命,石凝主命,応神天皇,別雷命,迦具土神,市杵島姫命,素盞鳴命 (うかのみたまのかみ,いしごりどめのみこと,おうじんてんのう,わけいかずちのみこと,かぐつちのかみ,いちきしまひめのみこと,すさのおのみこと) |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
当社は、富多村内に鎮座していた十二社を合祀して大正四年に新設され、富多神社と称した。経緯として大正三年十月二五日に当時の村長であった大作新右衛門らによって誓願が出され、翌四年に実施された。 富多村の中心地が神間であったことから、境内地として現在の地がえらばれ、またこの土地は元々、合祀した神社の中の一社に当たる稲荷神社の境内地であった。当時の稲荷神社の境内地はそれほど広くなかった為、氏子の協力によって(周りの田に土を盛って)境内の拡張が図られた上で、遷座が行われた。 一方、本殿は旧椚村の石神神社のものが移築され、口碑の伝によれば、石神神社の創建は徳治元年(一三〇六)三月と推察され、正徳二年(一七一三)に修復されたことが確認されている。この本殿も腐朽、破損等が激しくなり、平成五年に新しく塗漆され(遷宮祭十月七日)、現在に至る。
村社富多神社移轉合祀記念碑
神域の設備を整へ維持の方法を確立し進みて崇敬の實を全うするは當事者の責務にして時勢の進運に副へる當然の施設と云ふべきなり
此の冨多村内古来奉祀せる神社頗多し大字上吉妻に村社稻荷神社境内に天神琴平の二社あり大字下吉妻に香取神社あり境内に天神大杉稻荷の三社あり無格社八幡神社には又同じく境内に天神稻荷淺間の諸社別に無格社嚴嶋神社あり又大字小平には無格社八幡須賀八幡雷電の諸社あり大字椚に村社石神神社大字榎に村社香取神社大字神間に村社稻荷神社境内に淺間神社無格社愛宕神社境内に淺間神社等あり
其等の諸社多くは其の設備全からず崇敬の實亦舉がらず私かに遺憾としたりきこゝに関係者胥謀り合祀の上社名を富多神社と改め其の設備を整へ維持の方法を確立せむとするや社地を村内の中央にして風致に富み植林に適せる此の神間の地に卜し村長大作新右衛門氏進みて境内六百三十八坪参道百二十坪を寄進せらる
即大正三年十月二十五日出願翌月二十五日移轉合祀社號改稱並に跡地建物の處分等出願のまゝに許可せられぬこゝに一同奮起協心事に當り翌四年五月遂に之を完成し同八年二月六日幣帛神饌料の供進をも指㝎せられて一切の面目頓に新なるを得たり
當事諸氏の至誠實に嘆美に堪へず本村自治の改善民心の統一亦必や此の神徳によりて行はるゝに至らむ茲に碑を建つるに當り錄して以て記念となす
大正十年八月二十七日 官幣大社氷川神社宮司従五位勲六等額賀大直識 |
神社・お寺情報 |
出張祭典可 駐車場 神道式の葬儀
境内碑
富多神社社殿神域第修造碑
敬神崇祖は大和民族の傳統精神にして當社は元富多村内に鎮座せる十一社の大神を村のの中央で最も良き地を相定め永遠の神奈備として大神を安宮の常宮と鎭め祀るべく大正三年十月二十五日時の村長であり又氏子總代長として敬神の念厚き大作新右ヱ門氏が氏子一同に議りて埼玉縣知事に其の旨出願す同年十一月二十五日合祀の許可あり氏子一同大いなる喜びのもとに奮起赤心終始一貫奉仕したれば翌四年秋社殿を造營遷宮祭を齋行するに至る依って御社格も神饌幣帛供進指定神社に御昇格爾来氏子の安泰と國家護持更には天下泰平祈願の社として今日に至る顧見れば御社殿は合祀以来實に七十有餘年を經過し曩に雨漏り甚だしき部分を次々に御修造申し上げて参りましたが只今は其の腐朽破損殊の外甚しく宮司總代祭典の都度話題となり近時度々大字區長を交え協議を重ねるに貴重なる建造物は遠く先輩諸質の敬神の美徳を思ひ忍び此の際大修造の奉賛併せて神域改繕も整え維持の確立進みて敬神の實を擧ぐべく二ヶ年の計画のもとに協議一決す氏子一同相互信義至力を戮せ一筋に誠を捧げたれば此の程目出度境内參道森厳にして晝なを暗く花鳥風月の自然に囲まれた神奈備に壮麗極むる御社殿が竣成神威赫々神社の面目一新するに及べり時恰も春光天地を照覧する昭和五十九年三月二十六日の佳日を卜し遷宮奉祝祭を盛大裡に齋行千載一遇至誠實に嘆美に堪えず
茲に大神の宏大なる御神徳の光被を永遠に仰ぐと共に其の業を後世に傳ふるべく宮司錄して記念となす
昭和五十九年十一月十二日 富多神社宮司 中村富夫謹書
境内碑
千間堤増築碑
江戶川原分利根川水于上宇和田村經武藏下總國界▢入江戶灣稱太井川寬永中轉川口于関宿鑿新川至金杉村注大井川下流上流遂填塞作現今之狀寛文五年関宿城主板倉重常增鑿逆川引赤堀川水注本川通舟楫資灌溉始有今之稱其西岸沿北葛飾郡富多村者曰干間提堤下有灌溉渠俗稱根用水浸潤堤趾易壞頹而川則沙泥月淤歳澱高於村田數十尺一朝洪水潰決則數十村廬合田疇盡沒波底其害遂及東京矣是以每淫霖村民奔走警戒不安寢食者年兩三次村長大作新右衞門深憂之百万計畫欲增築堤防請之埼玉縣知事千家尊福乃命技師岡田竹五郎董之起於明治三十年竣於三十四年其工移灌溉渠於拾餘間之西增加堤土擴張其趾長壹千陸百五拾陸間費金參萬餘圓而村民献壹千圓於是村民安堵益力耕暇日則遊眺堤上兩毛諸山曡紫積翠連亘於北方波山抱雲屹立其東富嶽戴雪秀抜於西方信武連山之表而川則帆影艣聲上下不絕風景如畫永得鼓腹撃壌樂大平之澤遂胥謀欲樹碑不朽其功來請余銘乃繫詞曰
防害未萌 保利未息 高厥堤塘 移厥溝洫
乃便運漕 乃安稼穡 功徳悠久 與川兂極
明治三十六年四月
埼玉縣知事正四位勲三等 木下周一篆額
東宮侍講 從四位勲三等文學博士三島 毅 撰
北葛飾郡長從六位勲六等 白倉通倫 書 |
例祭日 |
一月一日 歲且祭 初詣
二月十五日 春祭(祈年祭)
七月十五日 夏祭
十月十五日 例祭(献幣使参向)
十一月二十三日 秋祭(新嘗祭)
毎月一日 月次祭
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/03/16 11:04:18
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