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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
愛知県名古屋市中区丸の内2-3-17 |
五畿八道 令制国 |
東海道 尾張 |
アクセス |
名古屋市鶴舞線丸の内 徒歩4分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
052-231-4030 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
【中扉】 須佐之男神(すさのおのかみ) 櫛稲田姫神(くしいなだひめのかみ) 【左扉】 兵主神(ひょうずのかみ) 【右扉】 八柱神(やはしらのかみ) |
創建・建立 |
延喜11(911)年3月16日 |
旧社格 |
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由来 |
当社は、醍醐天皇の御代、延喜11年(西暦911年)3月16日に尾張国那古野庄(現在の中区三の丸)の地に勅により鎮祭されたと伝えられている。
当時は天王社と称し、神仏習合により別当として真言宗亀尾山安養寺十二坊(首班を天王坊)があった。
天文元年(1532年)3月、織田信秀が那古野城主今川左馬之助氏豊を攻めた際当社社殿は兵火にかかることとなったが、後に織田信秀は社領若干を寄せ諸役を免じ、天文7年(1538年)には社殿は再興された。
時は変わって文禄4年(1595年)8月3日、豊臣秀吉は改めて社領348石余を寄せる。
徳川の治世となり、慶長15年(1610年)、徳川家康の名古屋城築城にあたって、当社並びに若宮八幡社は郭内となるため、他地に遷座の際に築城奉行佐久間政実をして御籤をとらせ神慮を伺った。
その際、当社は不遷の御籤のみ再三に及んだため、御城鎮守の神・名古屋産土神として旧知に依然として祭られ、元和元年(1615年)6月9日国主徳川義直によって改めて社領348石余を寄せ墨印地とした。
爾来、歴代国主の崇敬も篤く、毎年例祭には代拝参向・奉幣祭祀し祭儀の際も特に50石の地を寄せて盛大に行った。
また、社殿他の修造もみな藩主が執り行った。
明治維新・廃藩置県の際に社領は没収され、逓減禄の制度に基づいて若干の金員を下付された。
神仏混淆禁止の後に社号牛頭天王を改め須佐之男神社と称して別当を廃止して神職を置いた。
明治5年(1872年)郷社に列し、明治9年(1876年)10月、名古屋鎮台創置にあたって西区茶屋町(現在地)に遷座となる。
明治11年(1878年)には県社に列し、那古野(名古屋)創始の由緒に基づいて明治32年(1899年)那古野神社と改称し、明治40年(1907年)神饌幣帛共進神社に指定され大祭毎に県知事が参向し祭典を挙行した。
大東亜戦争による空襲により昭和20年(1945年)3月19日、本殿以下を焼失するが、氏子並びに一般の寄付を仰ぎ昭和29年(1954年)、本殿及び祝詞殿、昭和32年(1957年)に拝殿、昭和34年(1959年)に渡殿及び神札授与所を完工した。
(那古野神社 -御由緒-より) |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
五瓜に唐花
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更新情報 |
【
最終
更新者】A.S.Y.
【
最終
更新日時】2024/10/12 23:11:25
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