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★★★★★ 参拝日:2019年1月17日 00:00
山城國一之宮。二十二社上七社。別表神社。 創建は京都でもっとも古い部類と言われる歴史的古社。 境内の摂社二社も名神大社。(河合神社・三井神社) 本殿二殿が国宝。重要文化財三十一棟。 凄いお社です。 お詣りさせて頂いた日は冬晴れで、青空に白い雲。建物や鳥居とのコントラストも美しく、気持ちよくお詣りさせていただきました。 駐車場は下鴨さんの有料駐車場に入れさせてもらいましたが、境内南側が正面の鳥居になるので、表からお参りなさりたい方は正面の鳥居の近所のコインパーキングがいいかもしれません。
★★★★ 参拝日:2019年7月27日 18:30
みたらい祭 意外に深くてズボンが濡れてしまい、慌てて携帯がスルリ、水没してしまいました。神様~
★★★★ 参拝日:2018年10月16日 00:00
★★★ 参拝日:2002年11月18日 00:00
山城国一の宮。全国一の宮巡り40社め。下鴨神社の参拝をもって畿内7社の一の宮参拝完了。 1日に4社詣りしたので、よく覚えていないが、素朴なぬくもりを感じた。夕刻だったので、次回は朝に参拝したい。 評価基準☆☆ 乗用車300台の駐車場は1時間300円、参拝者の駐車は無料。
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住所 | 京都府京都市左京区下鴨泉川町59 |
五畿八道 令制国 |
畿内 山城 |
アクセス | 叡山電鉄本線出町柳 徒歩10分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 075-781-0010 |
FAX番号 | 075-781-4722 |
公式サイトURL | https://www.shimogamo-jinja.or.jp |
御祭神 | [西殿]賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
[東殿]玉依媛命(たまよりひめのみこと) |
創建・建立 | 崇神天皇7年(紀元前90年)以前と推定 |
旧社格 | 官幣大社 |
由来 | 当社の祭神は、賀茂別雷神社に祀られている賀茂別雷大神の母神と外祖父神の二柱。
神武天皇東征の折り熊野から大和の難所を先導した八タ烏(やたがらす)が賀茂建角身命であるという。 [賀茂建角身命・八咫烏伝承] 当神社が祀られたのは、崇神天皇の7年(BC90)に神社の瑞垣の修造が行われたという記録があり、それ以前の古い時代から祀られていたと思われます。 先年糺の森周辺の発掘調査で縄文時代の土器や弥生時代の住居跡がたくさん発掘され、それを裏付けています。 また、社伝や歴史書に、お祭、社殿、ご神宝等の奉納などが記録されています。 『続日本紀』の文武天皇2年(698)には、葵祭に見物人がたくさん集まるので警備するように、という命令が出された、という記事があります。 このことから、奈良時代より前から当神社が大きなお社で、盛大なお祭が行われていたことがわかります。 平安時代には、国と首都京都の守り神として、また、皇室の氏神さまとして、特別の信仰を受け、別項に記します式年遷宮や斎王の制度などが定められていた特別な神社であったことが知られます。 そして、『源氏物語』や『枕草子』など王朝文学にしばしば登場いたしますように、この時代の文化、宗教の中心地の一つとして栄えました。 平安時代末期になりますと全国に60余箇所もの荘園、御廚が寄進され神社を支えました。 鎌倉時代、室町時代、そして戦乱の世になっていくにつれ、各地の荘園も連絡が次第に絶えていきますが、代わって国民の信仰が神社を支えていくようになりました。 神殿守(殿司)とよばれる人々が全国をまわってご神徳を説いていくのもこのころです。 当神社を舞台とする、数多くの能(謡曲)などに、そのころの様子がうかがわれます。 また、国の重要な出来事には、必ずご祈願が行われました。 江戸時代にも、国と国民の幸福を祈願する神社として、神社の運営のため幕府より領地が寄せられました。 明治初年、全国の神社の代表として、官幣大社の首位におかれ、今日まで国と国民のための祈願を日々行っています。 [創祀] 創祀の年代を特定することはできないが、『日本書紀』神武天皇2年(BC658)2月の条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斎していた一系流「葛野主殿県主部」との氏族の名がみえる。 この氏族は、賀茂建角身命の先の代、天神玉命を祖神とする鴨氏と同じ氏族であったことで知られている。 また、『賀茂神宮賀茂氏系図』には、賀茂建角身命の子、鴨建玉依彦命より11代後の大伊乃伎命の孫、大二目命が鴨建角身命社を奉斎していたことが記されている。 その社が、今日の賀茂御祖神社の始源の社の一社であろうとされている。 崇神天皇7年(BC90)には、社の瑞垣が造営(『鴨社造営記』)され、垂仁天皇27年(BC28月には、御神宝が奉られている。(『同書』)また、緩靖天皇(BC580)の御世より御生神事が行われた(『旧記』)との伝承があり、欽明天皇5年(544)4月から賀茂祭(葵祭)(『本朝月令』『年中行事抄』)が行われていることからみて、創祀は西暦紀元をはるかに遡るものとみられている。 |
神社・お寺情報 | 式内社 賀茂御祖神社 二座 並名神大 月次相嘗新嘗 の比定社
山城国一宮 二十二社(上七社)の一社 勅祭社 別表神社(神社本庁) |
例祭日 | 5月15日 賀茂祭[(葵祭)上賀茂、下鴨両神社の例祭] |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】ちりぬるを 【 最終 更新日時】2024/09/03 22:02:15 |