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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市中央区本町東5-13-13 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR埼京線北与野 徒歩10分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0488526177 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
浄土宗 |
創建・建立 |
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由来 |
新編武藏風土記稿
足立郡與野町
長傳寺 淨土宗江戶增上寺末貞樹山觀智院ト號ス 古ハ御朱印地ナリシカ後故アリテ收公セラレシト云 開山ハ普光觀智國師ナレトソレヨリ以前草創アリシ古刹ヲ中興セシナルヘシト云 本尊ハ彌陀ノ立像長三尺作ハ定朝トモ或ハ運慶トモ云 內佛ノ本尊ハ三尊ノ彌陀長一尺三寸許許惠心ノ作ナリ 又愛染ノ像アリ長五寸許運慶ノ作ナリ 佛前ニ葵御紋ヲ彫タル木地ノ香爐一箇アリ 公ヨリ御寄附ノモノナリト云フ
寺寶 阿彌陀畫像一軸 紺地ニ金泥ヲモテ上品上生ノ彌陀ヲ畫ケリ尤大幅ナリ御繪所了琢カ筆ニテ其樣結構ナリ 筥ノ上ニ增上寺三十九世僧覺與寄附セシ由ヲ記ス 是ハ追福ノ爲ニ增上寺ニテ萬部ノ法要行ハレシ時鈞命ニテ畫シメ賜ヒシモノナリト云フ
鐘樓 古鐘ハ元祿年中ノ鑄造ニテ丸某ノ寄附ナリ 其後延享三年改鑄セリ
觀音堂 長三尺許ナル行基ノ作ナリシ觀音ヲ安ス |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
足立新秩父観音霊場(全三十四番)
第二十四番札所
聖観音像 (江戸時代前期作)
世に歯仏の観音という
ご詠歌
苦をば抜き 楽を与ふる 与野の宿
長き伝への 寺ぞたうとき
净土宗 長伝寺
境内掲示板
有形文化財木造聖觀音坐像
所在地 さいたま市本町東五丁目一三番一三号 長伝寺
この仏像は、像高八二・八センチメートル、寄木造り、玉眼で、慈悲にあふれる相を成し、優しさを感じさせる。頭部は宝髻を高く結いあげ毛筋彫りで、金銅透かし彫りの宝冠を戴く。右手を屈肘し第一、二指を捻じ、左手は未敷蓮を捧げる。結跏趺坐像である。造形的にすぐれ、洗練された安定感がある。江戸時代(元禄期)の作である。
この仏像の特徴は、軽く口を開いて歯をのぞかせている「歯仏の観音」と呼ばれる点で、生身の仏を象徴したものと考えられている。より身近な観音様であって欲しいとする心のあらわれであろう。
昭和六二年(一九八七)市指定文化財となる。
さいたま市教育委員会
境内掲示板
史跡西沢曠野の墓
所在地 さいたま市本町東五丁目十三番十三号 長伝寺墓所
時代 江戸時代後期
西沢曠野は、寛保三年(一七四三)本町に生まれました。
江戸に出て、儒学者細井平州の門人となり、与野に帰郷後、家業のかたわら漢学塾を開き近在の子弟教育にあたりました。みずからも儒教道徳を実践し、数々の徳行をおこないました。性格は温厚篤実で、天明の大飢饉にあたっては私財をなげうって窮民救済にあたり、後世「与野聖人」と慕われました。
晩年の画からは、柔和な中にも強い意思を秘めた風貌と厳しい道徳実践者の姿がうかがわれます。文政四年(一八二一)七十九歳で没し長伝寺に葬られました。
昭和三九年(一九六四)一月十三日市指定となる。
さいたま市教育委員会
境内碑
西澤先生名ハ周字ハ子邦曠野又夢澤ト號ス幼名善次家ヲ繼キテ義右衞門ト改メ晚年愚公ト稱ス武州與野ノ人寬保三年生ル少壯學ニ志シ江戶ニ出テ 細井平洲ニ從ヒ業成リ鄕ニ還リ生業ノ旁ラ徒ヲ延キテ敎諭ス天性至孝親ニ事ヘ最モ謹ム父ノ死スルヤ三年ノ喪ニ服シ家ニ孝經堂ヲ作リ父祖ノ靈牌ヲ奉安シ每朝一族ヲ率ヰテ堂ニ入リ孝經ヲ誦讀ス孝悌ノ風一鄕ヲ化シ先生ヲ呼フニ與野聖人ヲ以テス高山正之曾テ其名ヲ慕ヒ來リ見テ舊識ノ如シ細井平洲老ヲ吿クツヤ代ツテ先生ヲ尾藩ニ薦メムトス先生固辭シテ受ケス人皆其ノ高義ニ服ス文敎四年九月二十五日病ミテ歿ス享年七十九友人久留米候文額樺島石梁其ノ碑文ヲ撰ス與野町長井原義助君ハ義ヲ好ムノ士ナリ常ニ鄕土ノ偉人ヲ顯彰シ以テ風敎ノ振興ニ資ス今回先生ノ墓所史蹟ニ指定セラレタルヲ機トシ長傳寺住職大和田觀成師ト胥謀リ先生高德ノ一斑ヲ石ニ刻シ永ク後昆ニ傳ヘムトス予此ノ擧ヲ美トシ聊カ其ノ顛末ヲ識ス
昭和十七年龍集壬午十二月 陸軍中將正四位勳二等功五級渡邊金造撰并書
井原鐵心鐫
境内掲示板
古文書長伝寺開山観智国師関係史料
1観智国師真筆
2長伝寺開山伝記
所在地 さいたま市本町東五丁目十三番十三号 長伝寺
時代 江戸時代前期
観智国師(一五四四〜一六二〇)は与野に天正二年(一五七四)以来、十数年在住し、真言宗であった長伝寺を浄土宗に改宗して開山となりました。
その後、芝(東京都港区)の増上寺第十二世住職となり、浄土宗の高僧として多くの事績を残しました。
「観智国師真筆」は掛軸で、「三縁山十二世中興普光観智国師」と書かれ、花押と印章が押されています。
「長伝寺開山伝記」は和綴本で、観智国師と与野との関係を伝える貴重な史料です。
昭和三七年(一九六二)六月九日市指定となる。
さいたま市教育委員会
境内掲示板
古文書伊達政宗書状
所在地 さいたま市本町東五丁目十三番十三号 長伝寺
時代 江戸時代前期
この書状は、寛政九年(一六三二)政宗が臨済宗南禅寺の高僧以心崇伝(本光国師)に出した書状。道春(林羅山)の帰りと崇伝との会見を願ったもの。
縦三十六cm、横五十四cm。
為上使道春公使中之由
何頃可罷帰候哉免角▢
内々以参 可得貴意存候
以参加旁可得尊意候不定
得共御隙不存候故今日々々與
延引仕候乍恐御物語共
海山ニ候一両日中竹田
申談必々可令参上候御
見廻衆無御座時分見
合可申候恐惶謹言
仲春十日 政宗(花押)
松平陸奥守
政宗
国師様
侍衆御中
昭和五五年(一九八〇)四月二八日市指定となる。
さいたま市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/11/12 09:05:29
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