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★★★★★ 参拝日:2022年2月23日 00:00
大阪府高槻市に鎮座する野見神社です。 手水舎に生け花が綺麗に生けられてありました。 (写真2枚目)
★★★★★ 参拝日:2021年7月13日 00:00
★★★★ 参拝日:2024年12月16日 00:00
★★ 参拝日:2024年5月24日 00:00
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(Tさん🍁さん)
日付:2022年2月23日 00:00 |
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 大阪府高槻市野見町6-6 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス | 阪急京都本線高槻市 徒歩6分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 072-675-1316 |
FAX番号 | 072-673-5128 |
公式サイトURL | http://www.nomijinja.jp/ |
御祭神 | 須佐之男命
野見宿禰命 |
創建・建立 | 9世紀末 |
旧社格 | 郷社 |
由来 | 野見神社は高槻市北大手町旧高槻城内にあり、祭神は須佐之男命、野見宿禰命を祀る。創建の年代は社記に拠れば人皇第五十九代宇多天皇の御宇(9世紀後半)当地方に悪病が流行して多くの死者がでた時、「社殿を造り、牛頭天王をお祀りすれば悪病が治まる」というご神託があった。この神様は、災厄、疫病を追い払うと言われていたことから、早速お祀りしたところ、悪病はたちまちのうちに終息した。国人たちはおおいに喜びここに社殿を造り、牛頭天王社としてお祀った。これが当社の起源となる。
その後、享禄、天文 間には高槻城主駿入江駿河守、和田伊賀守などの崇敬を集め、社領の寄進などがあった。後にキリシタン大名高山右近が神殿を破壊し、社領を没収、時の神職は御神体を石清水八幡宮に避難させる。しかし元和五年、城主となった松平紀伊守は、城内の安全を祈願して牛頭天王社を新造するとともに、社領を寄進した。 慶安二年七月永日向守直清が城主となって、更に社殿を修築し、社領を寄進して例祭日を十月十四日と定めて、臣下、国人とともに盛大な祭礼を行うようになった。永井氏治政二百年の後明治維新をむかえ、明治元年の神仏分離令により、牛頭天王は須佐之男命と名を変え、更に野見宿禰命を合祀して、「野見神社」と改称し、延喜式内社として郷社に列し、神饌幣帛料進社に指定された最も由緒ある神社である。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 十月体育の日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】SBT 【 最終 更新日時】2020/03/08 18:23:18 |