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基本情報
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住所 |
埼玉県久喜市本町7-2-18 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR宇都宮線久喜 徒歩14分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0480231678 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
臨済宗円覚寺派 |
創建・建立 |
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由来 |
境内掲示板
甘棠院
所在地 久喜市本町七ーニー一八
甘棠院は、鎌倉の円覚寺を本山とする臨済宗円覚寺派の寺院で、山号を栄安山と称し、釈迦如来を本尊としている。
当院の創建は永正十六年(一五一九)にさかのぼる。当所に移り住んだ古河公方足利政氏公が居館内に当院を開基し、政氏公の子(一般には弟)の貞巖昌永和尚が開山となった。院名は、開基政氏公の法名によるものである。
当院は関東足利氏とのゆかりが深く、創建以降、四代目の住職までは、関東を治めた古河公方足利家の一族やその家臣が歴任し、当院で古河公方足利家当主の葬儀が執り行われることが慣例であった。また、江戸時代に喜連川(現栃木県さくら市)に再興された関東足利氏の系譜をひく喜連川家からも信仰された。
天正十九年(一五九一)、徳川家康から武蔵国の寺院としては最高の寺領百石を賜り、江戸時代には臨済宗円覚寺派の修行道場となり、当院から本山である鎌倉円覚寺の歴代住職を輩出している。
当院には、国の重要文化財や重要美術品、埼玉県指定文化財など中世以来の貴重な文化財が伝わり、現在は埼玉県の博物館に収蔵されている。また、当院の境内地は埼玉県指定史跡であり、足利政氏公の墓や、政氏公の居館時代の堀が境内地の北・西・南側をめぐり、一部の土塁も遺されている。
令和六年六月
宗教法人 甘棠院
新編武藏風土記稿
埼玉郡久喜町
甘棠院 禪宗臨濟派相模國鐮倉圓覺寺末 慶長十九年寺領百石ノ御朱印ヲ賜フ 本尊釋迦阿難迦葉ヲ置 相傳フ昔左馬頭政氏此邊ヲ領セシ頃當所ニ館ヲ設テ隱棲シ後永正十六年其舘ヲ寺トナシ永安山甘棠ト號ス 山號ハ左兵衞督氏滿ノ法謚ヲトリ院號ハ則政氏ノ法名ナリ 此時政氏出家シテ暫ク當院ニヲリシカ其弟貞嚴和尙ヲシテ住持セシメ是ヲ開山トスト云 今按スルニ政氏當所ニ來リシ頃ハヤ隱棲ノ身ナレハ生前已ニ甘棠院ト稱セリ 因テ當寺ヲ建立セシトキ卽チ其法謚ヲモテ寺號トセシナランカ 或ハ政氏逝後其弟貞嚴當寺ヲ建立シ政氏ノ法謚ヲモテ寺號トセシニヤ 其詳ナルコト今ヨリ知ヘカラス 貞嚴ハ元龜三年正月十三日化ス 其後天文十七年火災ニ罹リ堂宇悉ク燒亡セシカハ明ル十八年再建スト云 關東管領ノ次第ヲ記セシモノ政氏武州久喜ニ於テ逝スト記シ其逝所定カナラス サレト此政氏ハ父成氏ト共ニ下總國古河ニ在シカ上杉カ計ヒニテ一旦鐮倉管領トナリ幾程ナク鐮倉ヲ去テ古河ニ歸リシヨリ威勢彌衰ヘ シカノミナラス嫡子高基ト不和ニナリシ由諸記ニミヘタリ 是等ヲモテ其時勢ヲ推量レハ須臾ノ程爰ニ移住セシハ知ヘカラス 今ノ境內ノ四方ニカラ堀アリテ其サマ舘蹟ニ疑ナシ サレト政氏出家セルト云ハ妄說ナルヘシ 下ニ載タリ政氏カ開山貞嚴ヘ與ヘシ文書ニ政氏ト書テ道號ヲイハス 又寺傳ニ貞嚴ヲ政氏ノ弟ナリトイヘト世ニ傳ル足利系譜等ニハ政氏カ子トアリ何レカ是ナル知ラス 又當院昔ハ甘梨院トモ書シ由現ニ鷲宮文祿四年ノ棟札ニモシカ記シタレト是ハ誤ナルヘシ 元龜ノ頃ハ武田家ノ指揮ヲ受シト見エテ彼家ヨリノ棟札アリ
寺寶 甲冑 兒鎧ト名ツク政氏幼年ノ時著セシ物ト云フ 兜ハ黑漆ニテ胴ハ四所チヤウツカヒ薄鐵ノ胴丸ニシテ黑漆ノ上桐紋散ノ蒔繪アリ 緘糸紅ト見ユレト色アセテ分明ナラス 大荒目ノスカタニ緘セリ 裾金物等總テ赤銅ニテ桐ノ紋ヲ鐫出セリ 籠手ニハサマサマノ紋アリ 威衣地ハ損失ス 鎗一筋 穗十文字ニテ長七寸銘道憲トアリ 柄ハ千叚卷金物銅ニテ上ヲ黑漆ニテ塗レリ 石突ノ方折レテ存スル所七尺許 長刀一振 身ノ長ハ一尺八寸上ニ揚クル所ノ二品モ政氏所持ナリト云 鞍一口 車ノ紋アリ 裏ニ天正三年二月二十日於關原武功ト書シ下ニ花押アリ 其傍ニ伊藤氏御馬具司ト書セリ 由來詳ナラス 尤古色ニ見ユ 此餘夢窓國師自畫讃ノ像ナト數品ヲ藏ス 又古文書三通アリ其文左ニ載ス
古文書は省略
政氏靈屋 木像ヲ安ス 同人墓 五輪ノ石塔ニテ甘棠院吉山長公享祿四年七月十八日ト彫レリ 按ルニ此人ノ逝所武州久喜トモ或ハ古河トモイヘト兼テ當寺ヲ開基セシコトナレハ爰ニ送リ葬リシナラン 下總國葛飾郡牧野地村ニ御所墓ト稱シ二基ノ石塔アリ コレ政氏ノ墓ニヤトモイヘト是ハ政氏ヨリ後ノモノナルヘシ
鐘樓 古鐘ヲ鑄直セシモノニテ序銘益ナケレハトラス 下馬札 昔ヨリ建來リシノミニテ公ヨリ許サレシニハアラスト云 又前ニ出セル武田家ノ制札ヲ寫シテ門外ニ立置リ |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
埼玉県指定史跡
足利政氏館跡及び墓
指定年月日 大正十四年三月三十一日
永安山甘棠院は、鎌倉にある臨済宗円覚寺派の寺院である。
甘棠院の総門を入ると、中門前面から寺院の西側及び北側に空堀がめぐらされ、北側には土塁も築かれている。
ここは、享徳の乱終息(文明十四年 一四八二)以後、 古河公方になった足利政氏の館跡と伝えられている。
足利政氏の父成氏は、文安四年(一四四七) 信濃より帰り、鎌倉公方となったが、関東管領山内上杉氏と抗争ののち古河(茨城県古河市)に移って古河公方と称し、伊豆の堀越公方・山内上杉氏・扇谷上杉氏との勢力争いをつづけた(享徳の乱)。
足利政氏は、その後、子高基・義明と不和となり、永正九年(一五一二)に小山(栃木県小山市)に移り、同十五年頃、ここ甘棠院に隠居したと伝えられる。
境内には「享禄四年七月十八日甘棠院殿吉山道長大禅定門」の銘を刻んだ足利政氏の五輪塔がある。
甘棠院の指定文化財
国指定重要文化財 紙本著色伝貞巌和尚像
国認定重要美術品 十三仏版木
国認定重要美術品 九曜菊散双雀鏡
県指定有形文化財 絹本着色足利政氏像
県指定有形文化財 縹糸威最上胴丸具足
県指定有形文化財 源氏車紋鞍(付 障泥・鐙・轡)
県指定有形文化財 道憲作十文字槍
(右の文化財は、県立博物館に寄託・寄贈)
文化財は、私たちの祖先の生活のあとを知る大切な財産です。
境内の土塁・空堀をこわさないようにしましょう。
境内の建物・竹・木を大切にしましょう。
平成三年三月二十五日
埼玉県教育委員会
久喜市教育委員
甘棠院 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/01/25 16:14:30
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