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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
兵庫県朝来市山東町粟鹿2152番地 |
五畿八道 令制国 |
山陰道 但馬 |
アクセス |
◆JR山陰本線「梁瀬駅」よりタクシー10分。 (梁瀬駅はタクシー常駐せず。要電話連絡) ◆JR山陰本線「和田山駅」よりタクシー20分。 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
079-676-2465 |
FAX番号 |
079-676-2465 |
公式サイトURL |
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御祭神 |
【主祭神】
天美佐利命(あめのみさりのみこと・大国主命の御子)
日子坐王命(ひこいますのおおきみのみこと・開化天皇の第三王子)
日子穂穂手見尊(ひこほほでみのみこと・山狭知毘古)
【配祀神】
阿波奈岐尊(あわなぎのみこと)
伊弉奈岐尊(いざなぎのみこと)
天照大日孁命(あまてらすおおひるめのみこと)
籠神(このかみ)
鵜草葺不合尊(うがやふきあへずのみこと)
月読尊(つきよみのみこと)
素盞嗚尊(すさのをのみこと)
豊玉姫尊(とよたまひめのみこと) |
創建・建立 |
崇神天皇の御代(紀元前96~29年) |
旧社格 |
県社 |
由来 |
【頒布】旧勅願所 但馬国一宮
粟鹿神社由緒
由緒等
一、景行(ケイコウ)天皇の御代、熊襲を征し給ひし時、勅して社殿を造営される。(約1,900年前)
天武(テンム)天皇の4年、大旱百姓飢ゆ、朝使清原冬満至自、本祠域一丁五段草莱の地を開き天神地祇を祭り祈年す、後五穀豊穣。(675年)
清和(セイワ)天皇の貞観16年、勅使倭朝臣兼直至自、天下疫癘(エキレイ)の治まることを祈願。(874年)
後宇田(ゴウダ)天皇の弘安4年、蒙古九州に寇す、因て我社に勅使卜部兼直卿を遺し祈願し給ふ時に神徳顕るゝを以て神階を進め、宸翰の額を納め給ひ、祭田を賜る。(1281年)
二、御陵(ゴリョウ)
本殿背後に丘陵あり、または神墓・御塚とも呼ばれ、日子坐王の御墳墓と云われている。
高さ6m、方の辺の長さ約46m、重湟ありしも現在は内湟の一部が残る。
三、御陵柿(ゴリョウノカキ)
神社の北東約200mに柿の木あり、御陵柿と呼称す。
毎年必ず結実す。
日子坐王が生前に嗜好せられしとて、秋の大祭のあと之等を供へる儀式あり。
其の地名も「御陵柿」と云ふ。
四、勅使門(チョクシモン)
応仁の乱に、本殿・拝殿等悉く兵燹にかゝるも、此の門のみは焼亡を免る。
紀元1400年または夫れ以前の建造と記録に残る。
俗に「開かずの門」とも云われるが、現在は秋の大祭のみこの門を開く。
五、社紋(シャモン)
円囲の中に菊と茗荷を合はせた紋で「抱き茗荷(ダキミョウガ)」と呼ぶ。
菊の御紋の半分と、年毎の祈年祭に茗荷神社の池中に生へる茗荷の新芽の長短により、その年の豊凶を占ひし故事に由縁あるやに考へられる。 |
神社・お寺情報 |
但馬国一宮
但馬国大田文では二宮
祭神は十一柱を総称して粟鹿大神という。
日子坐王命は開化天皇の第三皇子であり、本殿後方の円墳は日子坐王の陵墓であると伝える。
「粟鹿大神元記」には大国主命の御子神である天美佐利命を鎮め祀ったと記している。他に、日子穂穂手見尊が塩満珠を当社に奉納したという伝承からこの神を祀ったといわれている。
延喜式内名神大社 比定社 但馬国朝來郡 粟鹿神社 但馬五社の一社 |
例祭日 |
10月17日 秋季例大祭 |
神紋・寺紋 |
抱き茗荷
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更新情報 |
【
最終
更新者】みつを
【
最終
更新日時】2020/11/03 08:38:16
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