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基本情報
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| 住所 |
埼玉県春日部市粕壁3-9-20 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
東武野田線春日部 徒歩6分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
0487523274 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御本尊 |
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| 宗派 |
真言宗智山派 |
| 創建・建立 |
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| 由来 |
境内掲示板
最勝院と寺町
最勝院は真言宗智山派の寺院で、華林山慈恩寺最勝院と号します。昔は天台宗慈恩寺観音(さいたま市岩槻区)の別当でしたが、永正元年(一五〇四)、中興開山奝尊の時に粕壁に移ったといわれています。御本尊は、弘法大師作とされる千手観音像です。
慶安元年(一六四八)、三代将軍徳川家光から寺領一五石の朱印状を交付されて以来、一四代将軍家茂まで九通の朱印状が残されています。慶安四年(一六五一)には、家光の遺骸を日光山へ運ぶ道中で一時安置したと伝わります。また、境内には南北朝期に活躍した春日部重行公の遺骨を葬ったといわれる墳丘があります。
最勝院は粕壁宿や近隣の真言宗寺院の中心であり、多くの末寺・門徒が属していました。この辺りは「寺町」と呼ばれ、近くの成就院や普門院のほか、妙楽院や玉蔵院も当町にあり、現在は廃寺となった正蔵院や華蔵院、仙乗院も所在していました。
明治期以降は、粕壁小学校(明治五年)や粕壁税務署(明治四二年)が開設されたほか、相撲興行やサーカス等にも利用されていました。山門前は、粕壁と千住茶釜橋をつなぐ千住馬車鉄道(明治二六年開通)の終点にもなり、にぎわいの拠点となっていました。また、大正期には現在の墓地近辺に牡丹園もありました。
令和七年八月
春日部市教育委員会
新編武藏風土記稿
埼玉郡粕壁宿
最勝院 新義眞言宗 山城國醍醐三寶院ノ末 慶安元年十五石ノ御朱印ヲ賜フ 相傳フ往古ハ慈恩寺村慈恩寺觀音堂ノ別當ナリシカ 永正元年奝尊トイヘル僧ノ住職セシ頃故アリテ彼ヲ辭シテ當所ヘ引移セリ 因テ華林山慈恩寺最勝院ト稱スト云 サレト此傳ヘ慈恩寺ニテハ沙汰セサルコトナレハ疑フヘシ 此僧慈恩寺ノ住職タルコトハサモアルヘシ 思フニ彼カ慈恩寺ニ在シ內別ニ一寺ヲ當所ヘ建立シ 山號寺號共ニ本寺ノ稱號ヲ襲ヒ用ヒ 其內寺號ハ本尊ノ通稱タルヲモテコレヲ憚リ 其院號ヲモテ常ノ稱トセシモンアラン サルニヨリ始ハ天台宗ナリシカ中古今ノ宗ニ改ム 中興開山ヲ俊弘ト云延寶七年示寂 墓所ニ石碑アリ 此僧高德ノ聞エアリテ僧俗ノ信仰斜ナラス 示寂ノ後モ諸人群詣スト云 其後法流ノ開祖ヲ俊慶ト稱ス 正德元年十一月廿日寂ス 本尊千手觀音弘法大師ノ作ト云
鐘樓 元祿四年鑄造ノ鐘ヲカク 寺寶繍御打敷二枚 慶安四年大猷院殿日光山ヘ御葬送ノ時當寺御旅館トナリ 其節賜リシト云 御棺ノ上ヲ覆ヒシ御品ナレト今ハ御打敷ト唱ヘ置リ 惣體鳥獸草花ヲ織出シ 長九尺程 幅ハ上ノ方ニテ三尺下ハ廣コリテ九尺許アリ 護摩堂 不動ヲ安ス 稻荷社 |
| 神社・お寺情報 |
境内碑
春日部重行公御霊古墳
南朝の忠臣贈従四位春日部重行公は逆臣北條高時の専横極まるところ 恐れ多くも後醍醐帝は隠岐に遷され給い王業の光正に淡きを嘆ずる時 護良親王の令旨を奉じ勤王の義兵を春日部に挙げ 建武元年(一三三四年)新田義貞と共に鴟張(しちょう)の賊北條氏を鎌倉に滅ぼし建武の中興の大業を成す。
更に足利尊氏の反旗を翻して九州より東上するや大義の血潮渾(さかん)に燃えこれを京に迎え撃つ然れども南風遂に競わずして戦時に利あらず延元元年(一三三六年)六月三十日鷺の森において恨み深き自刃を遂ぐ。
其の長子家繩遺骨を携えて帰郷し 最勝院に墳を築き此処に葬る。
大正七年(一九一八年)其の功を嘉し 特旨を以て従四位を贈らる。 |
| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2026/02/21 22:48:08
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