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基本情報
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| 住所 |
和歌山県日高郡印南町西ノ地328 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
| アクセス |
JR紀勢本線切目 徒歩13分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
0738-44-0239 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御祭神 |
(主祭神)誉田別命 (配祀神)猿田彦命 金山彦命 須佐男命 天児屋根命 事代主命 迦具土命 三筒男命 倉稲魂命 蛭子神 龍王神 |
| 創建・建立 |
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| 旧社格 |
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| 由来 |
通称切目五体王子社という。社伝によれば、大和時代の崇神天皇のころ当村太鼓屋敷(当地より北東三丁現在は畑)に地神五代を創立し、社号も五体王子宮と称した。その後多くの星霜を経て、現在地に移転したと伝えられている。切目神社は、古来飛鳥、奈良、平安時代と朝廷の熊野信仰の高まりにともない大きく歴史上にその名を留めている。切目という地名は、『万葉集』(巻十二 三〇三七番歌)「殺目山 行きかふ小道の 朝霞 ほのかにだにや 妹に逢はざらむ」にも残っておりその名を知ることができる。特に十一世紀から十三世紀の三百年間は、天皇・上皇の熊野行幸が最も多く、その中継遙拝所たる当社も、九十九王子の中の五体王子社として高い格式が与えられた。熊野詣途上にあった平清盛が、源義朝挙兵の報を受けて京に引き返したのも切目王子とされる。中世熊野詣では参詣の途上で歌会が催された例が参詣記に登場する。後鳥羽上皇が切目王子で開いた歌会の記録(切目懐紙)の写しが当社には残っている。 切目懐紙歌会記録 後鳥羽上皇○秋の色は谷のこほりにとどめ おきて梢むなしき おちのやまもと(遠山落葉)○うら風に 波の奥まで雲消えて 今日見る月の 影のさびしさ(海辺晩望) 中世以降も『平治物語』や『太平記』(大塔宮熊野落事)等に熊野詣の途中に切目王子に参詣したとの記述が見られる。『紀伊続風土記』によると境内摂社として大塔宮社が祀れたと記している。天正十三(一五八五)年豊臣秀吉による紀州攻めの兵火で焼失したが、氏子等により再建された。江戸時代に入り寛文二(一六六三)年紀州藩主徳川頼宣から御戸帳・絵馬などが寄進された。なお頼信公御手植のナギの木も現存している。貞享三(一六八六)年には、社殿が再建されている。現社殿の拝殿は、明治四十一(一九〇八)年に再建されたものである。 明治六(一八七三)年に村社の社格を受け、明治三十九(一九〇六)年九月二十一日、日高郡切目村大字西ノ地字門前に鎮座し、無資格神社を境内神社に金刀比羅神社を本神社本殿に合祀許可を受けて同年十月十八日合祀した。合祀移転された神社○玉野神社 印南町切目西ノ地字門前(祭神 天高地姫神)明治三十九年十月八日本社境内内に移転○大塔神社 印南町切目大字字太鼓屋敷(祭神 護良親王)明治四十年十月十八日本社境内内に移転○浦安神社 印南町切目大字字本村東浜(祭神 事代主命)明治四十年十月十八日本社境内内に移転○龍王神社 印南町切目大字字本村東浜(祭神 豊玉姫命)明治四十年十月十八日本社境内内に移転○稲荷神社 印南町切目大字字本村東浜(祭神 倉稲魂命)明治四十年十月十八日本社境内内に移転○地宗神社 印南町大字字丸山(祭神 猿田彦神、市杵島姫命、保食命)明治四十年十月十一日本社境内内に移転 |
| 神社・お寺情報 |
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| 例祭日 |
10月18日(10月第3週の日曜日) |
| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】重複表現を修正しました。
【
最終
更新日時】2024/08/25 20:40:20
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